ひと・技術・生き方の選択
- 誤った技術の使われ方に強い憤りと悲しみ -
2007 年 6 月 18 日深夜に放送された NNN ドキュメント「声の壁」を見て,美しい自然に恵まれた岐阜県中津川市での出来事にとても愕然とするものを覚えた.下咽頭ガンに冒され、声帯を失った市議会議員が議会での発言を代読で行えるよう議会に要望したが認められず,発言の機会を奪われているという内容の映像であった.
一部の議員を除く議会メンバーの多くは「親切にも」パソコンの音声合成出力機能による発言の方法を唯一の選択手段として当該議員に利用するように提案した.しかし,当該議員はパソコンの音声合成出力では人の肉声と異なり発言の真意が伝わりにくいと強く感じ,議会職員の肉声による代読を求め続けた.
かくいう筆者は,30 年間余りにわたり重度の障がいがある人々のコミュニケーション支援技術の研究開発やサービスに取り組んできた.たった 1 個のスイッチだけで,コンピュータの音声合成出力機能を使ってこれまで意思表現するなどがまったくできなかった人が,自分の気持ちをキカイを使ってでも表現できた時の目の表情がパッと明るく変化するのを幾度となく間近で見させていただき,この仕事を与えられたことに日頃から感謝している.
しかしである.筆者が常に忘れてはいけないとこころに決めていることがある.それは,何か具体的な目的を遂行しようとする際に,機器を使うか,その反対に人の助けを借りるか,あるいはその組み合わせで行うかを最終的に決めるのは,当事者自身であるということである.一見すると善意にも見える他者の押しつけが,当事者の生き方を外から強制してしまう.善意や平等性という名前を装ったイジメさえここにはあると感じ取れた.
海外も含め日本の支援技術者達がコツコツと培ってきた技術がこのような誤った使われ方をすることに,なおかつ市議会議員という公の立場にある人々の意識の低さに強い憤りと悲しみを覚えた.選挙の時だけ「福祉!福祉!」と本質が理解できていないまま叫び続ける人々の浅はかさに改めて強く失望した.
しかし,同じ岐阜県出身である筆者はあきらめていない.美しい自然に恵まれたこの地方で暮らす未来を担う若い人たちに.この出来事から多くのことを学んでほしい.代読を一切認めようとしなかった反面教師たちが君たちに絶好の「学ぶ機会」を与えてくれている.
いかにすばらしい技術が目の前にあろうと,一人一人が望む生き方や表現方法が決して奪われてはいけないことを.
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コメント
飯高京子先生
畠山です.コメントをありがとうございました.
今後ともよろしくお願いいたします.
お目にかかれる日を楽しみにしております.
失礼いたします.
投稿: 畠山卓朗 | 2007.09.03 00:34
かねてより畠山先生のお仕事については存じ上げておりましたが、その背後にある暖かい思いやり、心を大切にされている生き方を知ってとても嬉しく思います。
明日までにしめきりのレジメがあるので(来週末の集中講義)じっくり拝読する時間はございませんでしたが、
今回の機会を通して、畠山先生のお人柄を知ることができて感謝です。ありがとうございます。 飯高京子
投稿: 飯高京子 | 2007.09.02 01:51