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地蔵さん

04.08.15(日)

 先日開催されたマジカルトイボックスで講演している時である.前の方で聴講している女性の方がじっとこちらを見ながら私の話に何度も頷いてくださっているのにとても勇気付けられた.講演などしていてこれほど嬉しい反応はない.これとは反対に大きなあくびをされたり,うつらうつら居眠りを始められたりされるととても悲しい.というよりも,自分の話しの退屈さを責めるよりも腹立たしさみたいなことを感じてしまう未熟な自分がある.
 2年前ぐらいであろうか,大学の授業中に教室の後ろの方で大きなあくびをした学生がいた.実は,学生が想像する以上に教室の後ろの方までよく見通すことができるのである.授業が終わってその学生に「大きなあくびをしていただろう」とぶつけてしまった.後日,私は配偶者からこっぴどく叱られた.「あくびはね,自分を目覚めさせようとしてその人が努力している行動の現れなのだから,それを注意するあなたが間違っている」と.それからは講演中のあくびを見かけても,ああこの人も頑張っているのだなと考えるようにしている.
 話しはもとに戻るが,マジカルで頷いて聞いてくださっていた女性.どこかでお会いしたことがあると思っていたら,講演終了後に駆け寄ってきてくださり,「お地蔵さんの,...あの時の子どもの母親です」と言われて,私の中で数年前の記憶が鮮やかに蘇った.
 京都で開かれたカンファレンスの夜の懇親会で,重度の脳性まひの障がいがあるお子さんを取り囲んで話しが盛り上がっていた.私も誘われてその輪に入れていただいた.すると中心にいたお子さんが私の方を見ながら,なにやら必死にしゃべりはじめた.うまく聴き取ることができず,文字盤を取り出して読み取ることになった.「きょうとのまちへでかけた」「みちばたにおじぞうさんがたっていた」 ここまで聞くと,まわりの人々からは「カンファレンスを抜け出して京都の街へでかけたんだね」「道端にお地蔵さんが立っていたんだね」「若いのにお地蔵さんに興味があるんだ.すごいね.」まわりの人々はその話を受けてさらに盛り上がった.しかし,当の本人は「ちがう,ちがう」と必死にうったえかけているのが感じ取れた.そこで文字盤をもう一度最初から読み取り直すことになった.彼が言いたかったことを要約すれば「京都の街へでかけたところ,道端にお地蔵さんが立っていた.そのお地蔵さんの顔がこの人に似ていた!」その人とは私のことであった.自分の思いがちゃんと伝わって,彼からは笑みがこぼれた.
 まわりの人々は大爆笑である.「ほんと,畠山さんの顔,お地蔵さんに似ているわ」と.正直,もうすこし別の素敵な何かに似ていると言われたかった.でも一方で,感じたことをこんなにも素直に表現できる彼の素晴らしさに感動を覚えた.と同時に,文字盤使用につきまとう「先読み」の問題がこんな場面でも存在することにあらためて気付き,気を付けねばと肝に銘じた.船澤和秀君,ありがとう.

Takujizo


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コメント

和秀くんのお母様,コメントをありがとうございました.和秀くんがのびのびと育っていかれる様子を,楽しみにさせていただいております.これからもどうぞよろしく.コメントに気付くのが遅れすみませんでした.ではまた(^_^)ノ

投稿: 畠山卓朗 | 2005.07.04 23:35

畠山先生 あんな素敵に和秀の紹介をして下さり本当にありがとうございました。お地蔵さんと先生のお顔が表示される写真?? 最高です、あっ失礼いたしました。マジカルの外山先生と花岡さんのおかげで、住吉小に在校しながら府中養護へ修行に時々行く事が実現しそうです。外山先生とはATACパーティーで出会いました。力になってくれる人が増えてうれしいです。

投稿: yukie funazawa | 2005.03.11 21:06

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