目の高さと見える世界
03.07.07(月)
自宅からJR横浜線の駅まで徒歩で向かう.少し前を2,3歳ぐらいの女の子と母親が歩いている.女の子は少し歩いては歩みをとめ,道ばたに生えている草花に見入っている.母親はそれを嬉しそうに見つめる.それを繰り返しながら,親子はゆっくりと歩みを進める.ゆったりとした時間が流れている.どこかで見た情景のような気がする.
想い出した. 娘がやはり2,3歳ぐらいの頃.娘は散歩に行くときは近所のオジサンやオバサンだけではなく,そのへんに転がっている石ころや道ばたに咲いている花にまでいちいち挨拶するようになった.私が冗談半分で教え込んだことなのだが.まさかほんとうにそれを実行するようになるとは思ってもいなかった.しばらくそんな時期が続いていた.その時の娘の目にはどんな世界がひろがっていたのだろう.
話は変わるが,私は学生時代に肉体労働のバイトをした.ひ弱な私の将来を案じて,私の父親は大学の休みに工事現場で働く人々が寝泊まりする飯場(はんば)に私を送り込んだ.父の仕事の関係の知り合いが取り仕切る飯場である.そこで寝泊まりしている人たちは長崎県壱岐対馬からの出稼ぎの人たちが大半であった.世間知らずでほとんど役立たずの私を家族の一員のように暖かく受け入れてくださった.でもそこでの仕事は私にはきつかった.雨の中で合羽を着ての深夜のコンクリート打ち,苦手なネコ(一輪車)によるセメント袋の運搬作業など,様々な仕事を必死になって覚えた.そこで働く人たちは,1時間ほど仕事をすると「一服(いっぷく)」といって短い休息時間をとる.私もくたくたに疲れたからだを休めるために地べたに腰を下ろす.からだが少しずつ回復してくると,目の前の世界が徐々に見えてくる.それまで自分が見てきた世界とはまったくちがった世界が目の前にひろがっていることに気が付く.地べたすれすれに見える世界は,何もかもが新鮮だった.地べたから伝わってくる感触は今でもからだのどこかが覚えている.時にはすぐそばを歩いていく人達の見下ろすような視線が感じとれた.でもその一服の時間は至福の一時であった.
あれから月日が経ち,あの時見た世界や味わった感覚をすっかり忘れてしまっていた.目の前の親子の様子を見ながら,娘が小さかった頃の情景や学生時代の自分が見た世界に逆戻しされたような感覚があった.
時には,普段とは異なる目線で何かを見つめてみたいと,そう思った.
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