表紙 前へ 次へ 最後 目次 二色の独楽
児童指導員 今村葉子去年の十二月三十日に敏秀君の三十歳の誕生祝いをした。本当の誕生日は十二月二十七日なのだが、彼にはファンが多いため延期になった。二十七日には薄桃色のばらの花束のプレゼントが某ナースから贈られ、また知人から寿司の差し入れもあった。カードも贈られ私を相手している暇などない。
暮れも押し迫った三十日にした理由はもうひとつある。相部屋の衛守君が外泊するのを狙ったのである。彼も気管切開をしているが、ガールフレンドと正月を過ごすために三十日に呼吸器をもって部屋を出た。衛守君は、命懸けで外泊する。外泊から帰って来るとケロッとして「ウーン、救急車を呼ぼうとしたこともあったけど、なんとかなったよ」という強者である。とにかくその日、私達はお酒で乾杯して誕生日を祝った。
私と彼は六年程前に知り合った。死期が近いというだけで私自身なにがなんだがわからないままに、カウンセリングを始めた。
彼の指は骨を感じるほどに細く長く、青白い。力は萎えているがナースコールを押せる形で固まっていた。彼の手を私の手に重ねると、そこに空洞ができる。彼と死についてどれだけ話し合っただろう。
「やり残したことはないけど、まだ僕には好奇心が残っている」
「死ぬことを考えることはとても大切だよ」
「僕は三十歳まで生きたい。三十歳になって一秒でも生きれば死んでもいい」
死ぬ話ばかりしていたわけではない。まだ電動車椅子を手繰れるころ散歩に出たことがある。道端のなにげない草の名前を教えてくれる。
「あれはアメリカイヌホオズキ」
「こっちはスイバ」
「摘み取ったらだめ。野の花はすぐに枯れてしまう」
こういう時の彼はまるで自然と人生を詩う『さだまさし』である。
しかし、いい日ばかりではない。我の強い私達は喧嘩も激しいものである。すべての行動を人の手に頼っている彼は時として、何をして欲しいと言わず、
「それを右、左、違う、こっち、あっち」
と、自分だけわかって頼む事がある。まるで機械でも操作するようにである。私はイライラのあまり途中で作業を止めて彼をにらみつけ、「何をしたいのか言ってよね。とにかく事がすみさえすればいいというあなたの言い方には頭に来るのよね」と怒りをぶちまけた。これは最近の喧嘩である。寂しい思いをすればするほど怒りがたまることに最近気づいた私である。ここまでなくても、ピリピリとした言い争いはたびたびある。もうそろそろ彼も私のコントロール方法を身につけるはずだ。
彼を崇拝する女性患者が隣の病室に居る。今年になって気管切開をしたのだが、
「私『女敏秀』になる」
と意気込んでいる。彼女は彼に似て十分我がままだし、自分の考えをしっかり持っているし、生きるパワーもある。彼女の生きるパワーの源は嫉妬であるところが独特なのだが、こんなものは人によって違った方が楽しい。今後、どれだけ彼に迫れるか楽しみである。
私は敏秀君と話をしながら不覚にも涙をこぼしたことがある。
「泣きたい人を止めることはできない」クールな彼の一言である。
これからも私達の珍道中は続く。表紙 前へ 次へ 最後 目次