表紙 前へ 次へ 最後 目次 親愛なる友人を得て
三宅 優(ゆたか)氏との出会いも初めは、さほど特異な出会いでも、不思議なものでもなかった。ただ日頃世話になっている人々と違っているとすれば、TVというメディアを通してのものだった。
今から五年前の平成二年(一九九〇)の秋、NHK鹿児島で私を中心に取材したドキュメント番組「僕の気持ちを語りたい」が九州地方で放送され、(後に全国放送された)番組を彼が視ていた。そしてその番組に出ていた私に手紙をくれたのが始まりだった。こうして出会ったのも運命的と言えばそれにあたるのかも知れない。
それから月に一度程度の文通を交わし、その一年後くらいのこと、彼が私の下を面会に訪れたのである。その時も他の人々との初めてのものと変わっているところはなく、直接言葉を交わし、記念の写真を撮り再会の約束をしてその日は別れた。
その時、彼は少し驚いたという。というのも番組では声が出ないと言うことを告げていたので、声が出ないのであればどのようにしてコミュニケーションを取ろうかと苦慮していたそうだ。しかし彼の思いに反し(当時、既に声での意思の疎通を図れていたのだった)、声で迎えたことに驚いたそうだ。
気管切開をする以前は声を出せないのでは危惧されていたが、(気管切開を受けた者は声を出せないのが大半だそうだ)しかし幸いにも声を出すことができ、そのまま現在に至っている。
初めての面会を果たし、それから彼は二、三カ月の割合で私の下を訪れてくれるようになった。しかし最近では月に一回、第三日曜または月曜のいずれかに訪れてくれている。というのも彼は宮崎市内で理髪店を開いており、その定休日になっているかららしい。現在彼は私にとっては最も身近で、もっとも気の置けない存在であるのは言うまでもなく、親兄弟以上に親密で掛け替えのない存在である。私には彼と私が似ているとは思えないのが、周りの人々は彼と私はまるで親戚か、兄弟のように似ていると言う。
彼とこれほど親密になったのは、特別な秘訣があるわけではない。敢えてあるとすれば、初めての面会の時彼に言った言葉があるように思う。もちろん親密になるように言ったわけではない。その言葉は「きれい事はいりません。」というものだった。元来私はきれい事は嫌いな人間だ。だから人にも気を使われたり、きれい事を言われたくない。いくら表面を飾ろうと所詮は形だけに過ぎない。そして一度綺麗に飾れば、それからもずっと飾らなければならず、また緊張していなければない。つまりは疲れることになる。そしていずれは本音で付き合わなければならない。そのこともあって、会う人には気を使って欲しくないことを告げるようにしている。
いつも彼に会う度に思う。彼に出会えて本当に良かったと。彼に出会えたことで生活も、生きる喜びも増えている。何よりも外出もおろか、外泊に連れ出してくれることだ。
日頃神仏を信仰しない私でも、彼との出会いは神によるものではないかと思うことがある。もちろんこの世の出会いは運命と呼べるものも存在する。それは畠山卓朗氏や岡本 明氏、その他、私を理解してくれる人々もそうである。
これから彼と接する時間がどれ程続くかは定かではないが、いつまでも続くことを願うと共に大事にしてゆきたい。表紙 前へ 次へ 最後 目次