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自然という言葉

 私は近頃、自然という言葉が気に入っている。
 重症化した体は自分のものであって、自分のものでないと思うから。どんなに生きたいと思っていても、思いだけではどうにもならない。食事、寝返り、そして何よりも呼吸さえも自力ではできない今となっては、自然の流れに任せ生きるしか方法が存在しない。
 人は弱いもの、僅かな時間の違いで、死を迎え、生き続けることもできる。これは命に限ったことでなく、あらゆる物や道具、人との出会いも。そして私の楽しみであるパソコンの入力装置も、たまたま読んでいた雑誌によって道が開け、現在の状況に至っていることもその点では例外ではない。
 結局私は大きな宇宙のちっぽけな存在でしかなく、自然の海の中で病気を含めた障害という波に、浮き沈みを繰り返し生きているだけの存在に過ぎない。これは自然という宇宙に生かされているとかという気持ちではなく、あくまでも気持ちの根底には、「自身の意志の下に生きている」気持ちでいる。しかし現実には医療の加護のもとに生かされているのは紛れもない事実なのだ。
 私にとって自然という言葉には、生きることの心の態勢に気負いが起きない。つまり自然の流れに身をまかすことによって、いつ死を迎えても素直に受け入れることもできると思う。
 生まれることも自然なら、死にゆくことも自然。自分が考えてどうなるとかということよりも、飾りのない自然なありのままの姿で色々な人達と出会いたいから、自然という言葉に惹かれるのだ。
 しかし自然にするということほど難しいものはない。人には見栄や驕りがあり、自分が如何にして存在しているのかを忘れる。自然とは意識しない裸の自分をさらけ出すことなのではないだろうか。
 これから私は自然という宇宙が生きることを許し、必要としている限り生きたいと思うとともに、自分なりの納得のいく生き方を目指したいと思う。