表紙 前へ 次へ 最後 目次 死について
入院した時、八人の同級生がいた。うち男子六人は私と同じ病型で、中学部一年当時、学部の中ではわりに人数の多い方で、かなり賑やかなクラスであった。しかし二十歳を境にして次々にこの世を去っていった。
彼らが志し半ばにして去って行くことは、死の恐怖を教えることであった。なぜ死にいたることが、恐怖として思えるのか。幼い頃から宗教教育を受けなかったことにつながるのではないか。もしわずかながらでも受けていたなら、死=恐怖にはつながらなかっただろう。
死は差別なく誰の身にも訪れる。決して逃れることのできない人の世の定めなのである。
気管切開を受ける以前は、冬が来るたびに、風邪に神経をとがらしていた。我々、デュシャンヌ型にとって、風邪は痰を出すことが困難なことがあり、致命傷になりかねない。同じ病型の誰かが回復室に移されたまま、帰らぬことを、ときおり目にすることがあった。次は自分の番ではないかと、常に死を意識しながら春を待っていた。
以前、デュシャンヌ型は、二十歳前後に亡くなるのが定説となっていた。そして、そのことを率直に受け止めていた。それを考えればいま生きていることが不思議なほどである。
現在、延命のためにいくつかの装置が導入されたことで、三十歳を越える歳月を生きることができるようになった。
中学、高等部時代の頃、仲間が亡くなることは、特別なことではなかった。それが自分の身に訪れることとして、兄の死顔を見たとき、なぜかとても冷静に受け止めることができた。と同時に、自分の死の瞬間を連想させることでもあった。
なぜ、兄の死が直ちに受け止めることができたのか。生前何事にも一生懸命に取り組む姿を見ていたからだろう。
この時はじめて、時の大切さ、命の尊さを実感した。それまでなんとなくではあるが、わかってはいた。しかし、それがどういうことであるかは表現することはできなかった。運命論者というわけではないが、これも運命ではないかと思う。人間だれしも運命を背負っている。その荷物を下ろす事も、避ける事も、ましてや変えることさえもできない。
近い将来、私も死を迎える。その死は、突然訪れることだろう。以前、私は自分の死後の始末はしなければならないと思っていた。これまでの人生、一人の力だけで生きてきたわけではない。両親や病棟の職員、数多くの人々に世話になり生きてきているのだから、死んだ後までも迷惑をかけるわけにもいかないと思い、給付を受けている障害基礎年金は、墓石の代金のためにおいておこうと思っていた。しかし、あるときそのことを冷静に考えた。そんなことを思うことは、愚かなことだと気づいた。自分がいま生きているのは、私自身のためである。決して人のために生きているのではない。
体外式人工呼吸器を使い、さらに気管切開を受け機械に命を任すようになり、死に対する考えが変化してきた。以前は何が何でも生きるんだ。そして、死にたくないと思うことが強く、死ぬことが恐かった。しかし死が目の前に見え始めたとき、死に目を背けてはならないことに気づいた。死は誰もが恐ろしいものである。そのためか病棟では多くの人があまり触れたがらない。そして口にしない。しかし、いつ死が訪れるか分からない病気だからこそ死について、もっと話をすべきではないかと思う。
死を前にしていかに生きるか。それは過去に拘らないことではないか。過去に拘っていては、自分にとっては障害になる。常に前向きに生きて行くことが大事ではないか。また、過去は過ぎ去った日々であり、体の調子が良かった時を考えても、時は帰って来ない。時は僅かも待っていてはくれない。今を思いっきり楽しみ、生きることがどれほど価値のあることか。今でも部屋の明りが消えると、体調が良く、電動車椅子に乗り自由に動き回り、季節の移り変わりを感じ、夕日を見つめていたときのことを思う。そのことを思うと今の自分の環境がたまらない。なぜ、こんな体になってしまったのかと悔やむこともある。
病棟には私からみて少し勇気を出せば、病院外で暮らせるはずなのにと思う人がいる。もしも私を助け、外への扉を開いてくれる人がいて環境がある程度整うのなら、一週間でも外の自由な世界で暮らしたい。そして少しでもいいから自分の手でお金を得たい。自分さえその気になればできるのはないかと錯覚を憶えることがある。しかし、それは私の考えの甘いところだろう。自分の満足のいく環境が整えばなどと思うことは、あまりにも虫のよすぎる話である。しかし、そのように人のことを思うのも私の状態が悪いからなのだろう。そんな人達を羨んでも始まらない。自分の置かれた環境に満足し、できる限りに楽しむことがどれだけ大事なことか。私は誰よりも恵まれている。好きなことを思う存分できている。そのことを思えば不自由なことなど思うことは愚かなことである。今日が終わらなければ明日は来ない。今日を楽しむことが全てである。
私は恵まれていながら願うことがある。私の死後のことである。これまで欲しいものは手にいれてきて、それ以上に何を望むのかと思われるだろう。
死にいたることは、今の不自由や欲求不満から逃れられるだろう。しかし、願いを叶えることができるかどうかわからない。せめて次の願いを叶えて貰いたいと思う。一、病理解剖を受ける。
二、解剖後、角膜の提供をする。(アイバンク入会済みで私の手元に証明書はある)
角膜提供は、生きていたときの過ちの償いであり、人の世話を受けるばかりで、何もすることができなかったことへの恩返しである。
三、火葬後、遺骨は一部は納め、一部の灰を一度も行くことの叶わなかった霧島の頂上に撒いて欲しい。
四、葬儀は質素にして欲しい。親族は葬儀は盛大に行ないたいのが願いであろうが、しかし私は望まない。
五、棺桶には生前、私の好きだった植村直己の本を入れて欲しい。
六、パソコン類は、病棟に寄贈する。いま挙げた事項は、死後の願いとして叶えて欲しい。無理な願いもあるようだが。生前さんざん迷惑をかけておいて、死んだ後までも迷惑をかけるのかと思われることだろうが、許して欲しい。
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