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随 筆

病棟生活でのさまざまなこと

入浴
 障害が重くなるにつれ入浴するスタイルも変化していく。自力で座れるうちは、台やイスに座り、介助者に擦ってもらったり湯をかけもらったりする。しかし、病状が進み自力で座ることに不安が出てくると、台に寝て擦ってもらう。髪を洗ってもらう場合も体を擦る時と同じで、寝たままの状態で痛いとか痒いとか言う。入浴は、気分が落ち着くばかりでなく、とても気持ちのよいものである。一週間に二回ではあるが楽しみの一つでもある。しかし八十名ほどの患者を二十名ほどの職員で介助するため、ゆっくり温泉気分などと言った気持ちは到底望むことはできない。
 職員にとっては重労働で、とりわけ夏は辛い。浴室の中は蒸風呂そのものである。熱いからと言って窓や扉を大きく開けることはできない。プライバシーもあるし、重症者は風が体に当たるのが慎重だからだ。季節の変わり目は、体調を崩し易いようである。
 いくら大変とはいっても入浴の回数を減らしてほしくない。現在の入浴は以前に比べると随分とよくなってきている。『エレベートバス』という入浴器機が導入されている。患者はベットに寝ているだけでよい。浴槽が上下するので介助者はボタン操作をするだけで済む。仕事そのものは以前に比べ改善されている。
 現在、病棟開設当時(一九七三年五月)に比べ入浴に要する時間が長くなった。これは入院患者のほとんどが病状が進行し、介助の必要が多くなったからだろう。介助者は今後さらに困難が多くなり、危険率も上がり大変な作業へと変わることだろう。
 
体位変換
 私の体は、鉛でできた物のように全く私の意志では動かすことができない。昼夜問わず、人の手を借りて体位を換えて貰わなければならない。どんな場所へ行っても、誰と行っても、年中寝ている以上、体位変換をして貰わなければ痛みのために眠りにつくことも、日中を過ごすこともできない。人は一晩に何回となく寝返りを繰り返すという、それに比べれば私の体位変換などは微々たるもの。
 筋ジス患者でも病状の軽い人は、僅かでも動かすことができるため自分で微調整はでき、眠るのに楽な体勢をとることができる。進行するにつれ、難しくなり介助が必要になる。見た目にはほとんど変化がわからないぐらい動かしてもらうだけでよい場合もあれば、大がかりに動かしてもらわなければならない場合もある。その時々により位置も違えば動かす量も違う。
 健康な人は、気にとめることもなく楽に眠りにつく姿勢を整えることができるが、私のように体を全く動かせない者にとっては、僅か一ミリの違いでも寝心地が良かったり悪かったりする。その感じは言葉では言い表すことのできないものである。体を全く動かすことができない私は、動かして貰うところを介助してくれる人に伝えなければならない。動かしてもらう位置がはっきりしている場合はいいのだが、風邪をひいたりして体調がすぐれない場合、難しくなる。私は他の人に比べ神経質なところがある。では私の体位変換の様子を書いてみたいと思う。
 私は一晩に五〜六回、ナースコールを押す。
「何ですか?」
「足を右に向けて下さい」
「はい」
「左足の下に大きな枕を置いて、お尻をもう少し右に」
「膝の間にマットを挟んでください」
「いいですか?」
「左の肘を外にずらして」
「右の肘も」
「頭を少し右にずらす」
「いい?」
「もう少し右」
「行き過ぎ」
「いいですか?」
「はい、ありがとうございました」
といったように右、左といいながら夜間、昼夜を問わず、体位変換してもらう。体位変換は介助する人がなれなければ、一人一人の言い方も違えば、表現の仕方が違いわかりにくい時もあると思う。時折、ナースコールを押しておきながら眠る場合がある。こんな時に行ってみると何も言わないときがあるという。何も返事がなく、ナースコールを押したまま平気な顔で寝ていることを私の病棟では『幽霊ブザー』と呼んでいる。こんなときは、部屋から記録室(看護婦さん達のいる部屋)に帰り着いた頃に再び呼び出しブザーが鳴るのだそうだ。このときに当たった看護婦さんはムッと来るという。
 筋ジス患者に触れる人は、どんなふうにして触ってよいのかわからず恐る恐るする人がほとんどである。そこで初めての人にアドバイスと言うわけでもないが、『赤ちゃんを介助する様な気持ちで』触れればよいと思う。介助は病棟では、どんな場面でも必要不可欠なことで繰り返すうちに上手くできるようになる。
 昼間ショッピングなどをして、そのまま外泊をすることがある。門限が夜の八時である。昼間も介護をして、さらに夜間は体位変換となると介助者はあまり眠れず、大きな負担である。昼間の疲労を考えると体位変換してもらうには、やはり気がひける。かといって痛みを我慢するわけにもいかない。介護者の眠い顔をみるのは辛い。家族であろうと、ボランティアであろうとどちらにしても辛い。こんな時ほど体を動かすことのできない悲しみを感じることはない。いくら仕方ないと割り切っても割り切れないものが残る。体位変換を助けるためのベッドがあるようだが、なにしろ僅かでも体を動かせぬわけで、手助けになるには遠い気がする。
 体位変換だけでもできれば外泊したい気にもなるが、そのことを考えるとそう簡単に外泊をする気にはなれない。そのようなマイナス面ばかりを考えていてはとても外出、外泊は出来ない。介助者としては、そのあたりを理解した人でなければならない。しかし介助をする人は誰でもそこらを理解しているとは限らない。介助される方も介助者に対する感謝の気持ちを決して忘れてはならない。気遣う気持ちを表すことは大切である。お互い、心を持つ者である限り心の行き違いやすれ違いは多少なりあるだろう。それは互いの思いやりで解決することはできる。
 外出する時、病状が重度になると病棟の職員に介助を依頼することが多くなる。これはどうしても緊急の医療的処置が必要になる場合があるためである。依頼する時は、どうしても介助者である職員の休みの日になる。そうした場合、折角の休みに依頼するのにはためらいが残る。医療従事者の手助けが絶対不可欠である場合、仕方ないといえばそれまでであるが。外出などのレクリエーション一つにしても、介助者のことを考えて気楽にできないというのは一つの宿命であろう。

トイレ
 私は幼い時から胃腸が弱かった。腹巻をしていた時期もあった。これはとても暖かい代物で一度着けたらなかなかやめられない。取ってしまえば腹のあたりがとても寒く物足りないのである。
 症状が重度に向かうと便の出が悪くなる。腹圧の低下も関係すると思うが、もともと便秘ぎみの人もいるわけで、腹圧の不足と一言で片づけることはできない。便が出にくいというのは、本当に辛いものである。食べる量も少なく、水分も少なく、腹圧もかからない。まさに三拍子揃っている。あとちょっとというところで出ない。出ないとなると浣腸か、人の手つまり指を使う摘便をするしかない。通じは外泊をする時の最も心配の種である。出ない時の気分といえば何とも表現が難しい。ガスでおなかは張るし、便意はあるし、頑張って出そうとすると私は吐き気のような気分になる。浣腸をしても出ない時もある。とにかく便が出ないのは一大事である。現在、私はベッド上でゴム便器を使っているが、以前は病棟のトイレで寝た姿勢で排便していた。病棟のトイレの部屋は広く作られているが、これは一つには介助を楽にするためである。寝た状態で排便するのは慣れないとなかなかできないものである。便が出ない時は、いろいろ工夫したり試行錯誤を繰り返した。たとえば腹圧を助ける意味で、小さな砂袋を腹にのせたり、職員の手で押して貰ったりする。また便秘ぎみの時は、繊維素を多く含む食品や飲物、水分を多く取るように心がけた。現在、薬を毎食後に飲んでいるためか、さほど苦労することはない。とにかく便というのは私に限らず筋ジス患者には難題である。

人間関係
 我々のように介助を必要とする者は、看護婦、看護助手、保母、児童指導員と多くの人々と接する。中でも最も機会が多いのは看護婦である。感情面や精神面において人間の醜さ、素晴らしさを感じとることのできるところである。その時々の感情により、ぶつかりあったりわかりあったりと人間の本質の表れる関係でもある。それは、親兄弟の関係にも似たことにもなりかねない。接する機会が多いこともあり、親でさえ知らない面が出ることも多々ある。過去を振り返ると、若かった頃私もよくぶつかりあった。
 例えば、中学生のころ遊びほうけていると「敏秀君、敏秀君」と呼ぶ声が聞こえる。
「歯磨きはしたの?」
「はーい」
返事はするものの、遊びが大事で、後でいいだろうと思い再び遊びを始める。すると十分と経たないうちに呼ぶ声が聞こえる。
「いま行きます」
「あなたはいつも口ばかりなんだから、早くしなさい」
すると短気な私は口答えをする。
「いつもじゃありません、いつもはちゃんとしてます」
「嘘を言いなさんな」
素直に「はい」と答えてすぐにすれば良いものを、幼い頃からの性格と反抗期とが重なってか、看護婦や指導員と何度となくぶつかることがあった。そのたびに性格の優しい兄は、ふがない弟と胸が痛かったに違いなかっただろう。
 私の若い頃を知っている職員に、再会する機会があると、とても恥ずかしい気持ちと懐かしさが重なり合う。
 現在医療現場では、人手不足は深刻であり、いたるところに影響が現れている。お互いの誤解も招き易いし、辛い顔をみるのがいやになることも可愛そうに感じることもある。仕事による疲労や、体の苦痛を聞くのは忍びない。我々の責任に負うところもあり辛い場面も多い。
 閉鎖された環境であり、特殊な環境でもある。この環境のなかで私達が生きることは、さほど骨を折ることではない。出された食事を取り、決められた時間に行動すれば一日は終わる。何をするわけでなく、何もしなければ死につながるわけでもない。ただ人間関係を上手にすればいいだけである。人間関係を隔たりなくするということは難しいものである。人には好き嫌いがあり、気の合う人、合わない人いろいろいる。そんななかで人との関係を上手くするには、言うに言われぬものがある。私の場合、割と上手く出来ていると自分では思っている。
 普通の家庭でも同じ屋根の下に暮らす家族でも時には、関係が上手く行かない時もあるわけで、全く血のつながりもない者同士がつき合っていくのは難しい。
この特殊な環境のもと、生きていくにもある程度の技術も必要である。集団生活では、自分の我儘ばかりいってはいられない。ある程度、自分の気持ちを抑えることも必要である。お互い人間である以上気分の起伏はあるもの。気分の良い時もあれば、気分の冴えない時もある。そこをある程度見極める必要もある。時には機嫌も取らなければならない人もいる。そこは言うまでもなく、子供であろうと大人であろうと生きるための知恵でもある。自分のその時の気分だけで過ごせたらどんなに楽なものか。しかし自分の思うようにばかり事が進むことは、数日、数カ月なら満足にいく日もあると思う。しかしそれは一時的なもので、いずれはマンネリと感じ始め、刺激ある生活を望むようになる。私はまだ『人間は素晴らしい』と言えるところまでたどりつけず、人の嫌いなところばかりが目についてしまう。人は本当に多様な性格をもった生物だと思う。自分の性格も決して良いとは言えない。できるだけ自分も良い部類に入るよう努力したい。とかく私は目標をいろいろ立てるが、すぐに忘れてしまいあまり進歩がない。人と人のつき合いほど難しいものはない。

残念に思うこと
 病棟の職員はいつもわかりきった顔で私の顔を見る。自分一人では何もできない患者に対してどれだけ理解し、受け入れてくれているのか。患者の多くは社会的常識がなく、わがままや自分の立場ばかりで考えていると思っているのではないか、と時折思うことがある。実際にここの患者は社会的常識がないと口に出す人もいる。確かに患者の中には駄目な人と思われる人もいるかも知れない。自分の事ばかりしか言わない人もいるかも知れない。一面では事実かも知れない。しかし全ての者がそうだというわけではない。そしてまた言われたくはない。
 閉ざされた環境に生活していているものは、自分本意であると言われればそれに対して反論することはできない。何故なら自分でも自分勝手なところが多く、時には常識のないことを要求したり言ったりするからである。自分のことでありながらほとほと情けなくなることもある。
 しかし私が許せないのは、病気だから仕方がないのかもしれないと言う人がいることである。この事は最近目立つことではなく、以前より時折耳にすることであった。私達は人の手を借りなければ息をすることも、食事をすることもできない。決して強く言える立場ではない。
 世間の人は病棟に勤務する人々は、患者の事を思い、患者の事を理解していると思うに違いない。確かに始めから嫌みな考え方をする人はいないはずだ。理想を敢えて言うなら、職員は患者の一人一人について理解してもらいたい。それは無理極まりない要求でもある。全ての人を理解するということは神を要求するほどの至難さだ。しかし素振りでも一人一人個人的な対応をして欲しい。
 人間、どんな世界でも周りに染まりやすいものだ。それは筋ジス病棟に限らない。何事に対しても真剣に取り組んでいた人が、なぜ挫折感を味わうことになるのか。時折そんなことを耳にしたり、落ち込んだ顔を見るのは忍びない。何とか力になってあげたいと思うのだが、いくら頑張っても力になってあげることはできない。それがどうにも歯がゆい。その挫折というのは、ほとんどが仕事上の事。私が患者である以上私の力の及ばぬところであり、それが悲しい。みんなが互いに理解し合える世界などあり得ない。それを解決するためにはお互いの努力が必要である。お互いの腹の探り合いは寂しい。表面だけをとりつくろっている素振りがみえる時には、ただの張子の虎に見えるときがある。
 我々患者は表のものしかみることができない。一枚の板を隔てると人の顔も形も変わる。その事がわからないのは幸せなのかも知れないし、悲しい事かも知れない。しかし表の顔と壁の向こうとは違うとわかるだけに、つい人の心を探ってしまう。それは人間としてとても醜いことである。それのない日がいつか訪れるのであろうか、それとも訪れないのだろうか。

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