表紙 前へ 次へ 最後 目次

現在の私

 気管切開後、二年が過ぎ、温かい人々に見守られてとても充実した日々を過ごしている。不満や歯痒いところはある。しかしそれを言ってしまっては贅沢だろう。世の中には恵まれない人々はいくらでもいる。それでいて人間は願いが叶えばさらに求めるものだ。願いを持ち続けること、更に叶えることができるよう努力することが、大事ではないかと思う。人間が輝き続けることは何かに一所懸命に取り組むこと、そして諦めないこと。私の場合、不可能になったら、新しい何かを見つけ自分のものにできるように努力する。
 私は毎日、一時間半をパソコンに取り組む時間にあてている。しかし今(一九九二年十一月)は病棟の他の患者の病状が進み介助が増えてきた。私がパソコンを打つまでの準備に十分ほど片づけに五分ほど看護婦さんの手を借りるが、それもままならないこともある。わずかに動く指先が丁度、キーボードを押せるように、スイッチを押せるようにするには、ミリ単位の細かい介助が必要である。とにかく私の活動できる時間は短くなるばかりである。しかし内容の密度から言えば、とても濃く充実したものとなっている。しかし重症患者が増える中で、人の言葉を気にしながらパソコンを納得行くまでするのは並み大抵のことではない。一日の内で、パソコンの画面に向かっている時が、最も充実している。パソコン通信をする時間でもあるからだ。
 パソコン通信を通じ、これまで私の中にあった世界は更に拡がることになった。日頃、私のように殆どの時間をベッド上で過ごしている者は、視野がとても狭くなりがちである。私は好奇心旺盛という性格も手伝ってかパソコン通信をしていることが、欲求不満の解消になっている。外出をするにも、おいそれとはできず、多くの人に迷惑を掛け手を煩わすことにもなる。
 その点パソコン通信は、たとえば本屋に行こうと思えば、電話の回線を通じ出向くことができる。時には会議にさえも参加できるのである。また障害者、特に重度の障害者にとって、同じ障害を持つ人々の手と手、心と心を結ぶかけがえのない一本の血管となり、日本中を世界中を駆け巡り、新しい出会いを作ってくれる。私も恩恵を受けている一人である。
 パソコンの画面に向かう時間は、全てをパソコン通信に当てているわけではない。手紙を書いたり、また自分の思いも表現したりもする。私の興味を持つありとあらゆるものが、一台のパソコンを通して実現している。
 例えば、絵を描いたり見たりすることは好きだ。まだ手の自由の利く頃、ときどき油絵を描くことがあった。人に見せられるほどのものではなく、自分一人が満足に浸るだけのものであった。中学部二年の頃、身体障害者を対象にした絵画展で好運にも、彩色版画で労働大臣賞三席を貰うことができた。働く人を題材にしたもので、私は電気技師をモチーフに選んだ。入選するとは夢にも思わなかった。自分自身が驚いたのだから、周りの人が驚いたのは言うまでもない。
 現在は、絵筆を握ることは叶わない。しかしパソコンの画面をキャンバスに見立てて描く、いわゆるコンピュータグラフィックをすることはできる。本来、電子機器と呼ばれる物は、とても冷たいものというレッテルを張られ、人間とは相交わらぬものと言われることがある。しかし私にとっては、とても人間味のあるものに変身している。電気を通さなければ何をする事もできない。言ってみればただの箱、それが私の入力する言葉に反応を示してくれる。時には私の意に背き、何も受け付けてくれない時もある。こんな時私はどうすることもできない。電気というエネルギーがなければ動くこともできないところは、人に動かして貰わねば何をすることもできない私にどこか似ている。今、私のもとからこの機械が消え失せてしまえば、私は手足を失ったも同然、何もすることができない。それほど私にとって重要な人である。手足であり、体である機械を私の思い通りに操ることのできるようにして下さっている人々の熱意により、私に表現の手段として生きる喜びとして与えて貰っている。それにより一日を十分に楽しむことができている。そして明日に向かうことができてている。
 現代社会をも揺るがしかねない電子技術の長物と出会う事を実現してくれたのも、何を隠そう障害という大きな荷物、進行性筋ジストロフィー症という難病である。恨むべき筋ジスという巨人が鞭を持ち、痩せた体を痛ぶりながらも慰め、時には優しさを持ち、新たな人との出会いをあたえてくれている。病気は私の幸福の道案内をしてくれている。病気は災いをもたらすだけのものではなく、生きがいも喜びも与えてくれている。これが私の命の推進力である。
 私は、病棟の誰よりも幸せな一人であろう。幸せだからこそ色々なことに挑戦して行こうと思う。その取り組みの一つが本を編むことである。自分の生きた時を刻むことで、私の存在をあらためて知ることになるのではないかと思う。いま最も大事にしていることは、何物に対しても、貪欲な好奇心で取り組むことだ。この事がこれまで私を助け、導き、支えてきた。これを失う事のないよう生きて行きたい。命のタイムリミットは後どのくらい残っているのか誰も知らない。知らないからこそ悔いのないようにしたい。
 私にはまだやるべきことが山積みされている。その荷物をひとつづつ降ろしていこうと思う。これこそが私に残された使命であることを確信する。

表紙 前へ 次へ 最後 目次