表紙 前へ 次へ 最後 目次

機械に呼吸も任す


 私の意欲とは別に体の進行は待ってはくれず、呼吸の状態は更に悪化の一途をたどっていた。困難を軽減してくれたのは好奇心である。体がきつくとも好奇心は衰えを見せなかった。呼吸が苦しくとも好きなパソコンができると思うことが、苦しさをも寄せつけぬ力になっていた。生きがいとするものがあれば辛さなど乗り越えられることを実感した。衛守至氏のパソコン操作風景
 私に気管切開を受けることを決断させるきっかけは、衛守至氏の存在である。気管切開を受けながらも、溢れるほどの生気を見せる彼に会うたびに、私の中に生きる力が湧いて来るのだ。彼にさまざまなことを聞き、互いの意見を交わし語り合うことで自分の好奇心、つまり私にとっての生きる力を奮い立たせることができた。
 体外式人工呼吸器の装着時間が以前に増して長くなり、食事も呼吸器を装着しながら摂取しなければならなくなった日、私は決心した。このままの状態では、自分は何もできなくなってしまう。そのためには気管切開を受けるしかないと。また好きなパソコンもできなくなることを直感した。私にとってパソコンは生きがいそのものである。また自分の力だけでできることが極端に少なくなる一方で、パソコンだけが思い通りに動かすことも、気持ちを表現することもできる唯一の手段である。それを失うことは手足をもぎ取られることであり、生きる力を失うことに等しい。気管切開を受けることが私に残された道ではないか、それにより前が開けると思った時、精神的な領域では障害となるべきものは消えた。命を機械に預けることは、生きることを諦めることにつながることかも知れない。電気が止まれば人生は終わり、家族は悲しむだろう。しかし機械に呼吸を預け、人生を託すことは、機械の力を借りなければ生きて行けない病気を背負った者の定めである。自分の意志の関与なしに生きなければならないことを考えると、とても空しい。しかし、それをいくら考えようともどうにもならない。これからどうなるだろうと考えようとも到底私の意志が通じるわけでもない。天命に委ねるしか生きる道はないのである。自分の力で生きるのも、機械に呼吸を任せ生きるのも、生きていることには変わりはないのだ。その時はその時、と割り切るのが何よりの安楽な生き方ではないだろうか。

表紙 前へ 次へ 最後 目次