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KBマウスとの出会い
パソコンを始めた頃は、キーを打つことは苦もなく、比較的早いスピードで入力できていた。しかし病状の悪化でキーを叩くにも苦労するようになった。
その時は、何とか指だけで入力できていた。ところが指が曲がってきたため、キーボードの中で届かない場所がでてきた。それを補うためにサインペンを利用した。それもサクラというメーカーのものが良かった。
体の調子がいい時は、長時間取り組んでもさほど汗がでることもなかった。しかしそれもどれくらい続いたのか、キーの入力にも苦労するようになった。パソコンに向かう度に冷汗のでる量が多くなり、疲労を感じるようになった。自力で入力するのが無理になった。そのため入力するには人の手を借りなければならいようになった。
完全にパソコンの操作ができなくなったわけではなく、周辺機器であるマウスと呼ばれるものを使うことで何とか入力していた。しかしマウスを利用するプログラムは限られており、文章を書くためには、人の手を借りる口述筆記を余儀なくされた。口述筆記は、書きたいと思うことを筆記してくれる人に言葉で伝えなければならず、口で言うには時には言えないこともあり困ることもあった。
そんな中、パソコン雑誌(月刊アスキー)を読んでいると、ある記事が目に止まった。キーボードの代わりをする『KBマウス』と命名された入力機器だった。その雑誌の記事をみてからというもの、私のパソコンに取り組む環境が一変した。それまでいろいろな雑誌をみては入力機を探していた。
しかし私に合った物はなかった。パソコン雑誌に取り上げられた物は、これまでの物とは違っていた。記事を読んでみるとその機械を使用しているのは、脊随の損傷を受けた人で、首から動かすことのできない人であった。その人の写真も掲載されていた。
その記事をみた瞬間、これなら自分も使用できると直感した。首から上だけしか動かすことのできない人が使用できるのだから、自分にできないはずはないと思った。その記事を読み終えると、すぐに問い合わせた。記事の機械のこと、そして現在パソコンの入力に困っていてどうしても必要という強い要望を担当者に伝えた。
すると担当者(横浜市総合リハビリテーションセンター企画研究室 畠山卓朗氏)の方がとても親切な方で、気持ちよく対応して下さった。しばらくして、担当の方から連絡があり「何とかなりそうです」との返事を貰った。
同時にパソコンを諦めなければならない状態に直面していたために、暗かった空が夜明けと共に明るさを取り戻していくような気持ちだった。諦めかけていたことが再びできるようになると思うと、狂喜乱舞といった感じで何にたとえようもない気持ちだった。それから数回連絡を重ねるうちに、指導員の久保先生に横浜方面に出張する機会があった。その時私の手の状態をビデオに撮り畠山さんにみてもらうことが叶い、夢から現実へとその歩を進めることができた。
KBマウスを使い入力したパソコンの文字をみた時、初めてパソコンに触れた時と同様な感動があった。夢が実現できるまでの道のりは、幾人かの援助と手助けに支えられており感謝にたえない。もちろん自分だけの力ではなく、むしろ自分はその力の一パーセントにも満たなかっただろう。
好運にも動き始めるとトントン拍子にことが動き、衰え始めていた気力を取り戻し色々な方向に目を向けられるようになった。それまでさほど興味のなかった詩作に興味が沸き、想いの丈を無性に形として表わしたくなった。
一つの機器がこんなにも新しい世界と意欲をもたらしてくれるとは予想だにできなかった。このKBマウスとの出会い、畠山さんとの出会いにより再び私を取り戻すことができた。この出会いにより種々の障害を持つ人々と、また頚椎に損傷を受け、やはりKBマウスを使用されている上村数洋さんとも出会うことができた。上村さんこそ私を再生に向かわせて下さったその本人なのである。
上村さんについては本人の記された著書、『明日を創る(三輪書店)』という題に詳しく紹介されている。この本を読んで自分の甘さを知るとともに、私にもできることがあることを知った。上村さんに負けられないと思うようになった。
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