表紙 前へ 次へ 最後 目次 成人とパソコン 十九才の春、無事に養護学校を終え、成人患者の仲間入りをすることになった。成人患者の仲間入りをしたからといって生活が変わるわけではない。ただ自分ですることを選択しなければならなくなったということ、そして選択するだけの時間の余裕ができたということである。今までの生活、特に養護学校では自分だけの気持ちだけで動くことはなく、準備された項目を順次消化していくだけですんでいた。準備されていることに、ただ従えばその場を通り過ぎていた。自分で考えることもなく、気がつけば終わっていたという有様であった。あわただしく過ぎる毎日にもまれ、するべきことを忘れていたようでもある。このことに気づくのは、卒業してしばらくしてからのことである。
私がパソコンを始めようと思ったのは、幼い頃から機械類にはとても興味を持っていたことが大きい。
アマチュア無線を熱心にしている時もそうだったが、私のそばにはいつも私を刺激する人がいた。それが一つ違いの兄であり、中村満氏である。兄は私と性格はかなり違っていたが、興味をもつものは似ていた。アマチュア無線に興味を持ったのも、パソコンに興味を持ったのも、同じ頃だった。興味を持つものが似ているのは、中村満氏も同じである。中村氏は私より二つ年上で、兄の一つ上である。私達三人は、何かに興味を持つのも、何かに取り組むのも、一人でできないとなれば、話をしたり相談した。例えば、病棟で文化祭があるとなれば、「アマチュア無線の公開による実験」など、何か催しになることを三人で取り組んだ。
三人の中でパソコンを先に始めたのは中村満氏であった。氏が自分のベッドサイドにパソコンを持込み、パソコンを眺めながら懸命に何かをしているのを見たとき、初めは単なる機械に対する好奇心だけであった。まさかこれが表現の手段に、ひいては今の自分の生きる支えになるとは夢にも思わなかった。氏がぎこちない手つきで操り、プログラムを入力する画面を見た時、一体この文字の列は何なんだ、こんなに訳のわからない言葉を入力して何になるのだろうと、思うばかりであった。しかしプログラムの入力が終わり、ある手続きをするとどうだろう。パソコンは画面にグラフを描き始めた。その模様を氏の側で眺めた時、感動があった。パソコンはこのようなことができるのかということが、それ以来、私の頭を離れなかった。
パソコンを実際に目にしたときからパソコンに吸い込まれるように興味を持つようになり、遂に兄弟でパソコンを購入することになった。私が養護学校の卒業してすぐのことだった。私の家は裕福ではない。障害基礎年金の支給を受ける前であったのに、なぜ購入できたのか。当時、父は既になく母子家庭であったために、母は母子年金を受けていた。父がいないから、家庭の経済を助けるために母が母子年金を受けていたのだが、そのとき母は再婚して、男性と新しい生活を始めていた。そのため、支給をうけていた年金は叔父に渡していた。その年金は叔父達が私達兄弟を預かる代わりにと受け取っていたはずなのに、叔父はその金は使わず、私達兄弟が使うように、貯金をしてくれていたのである。もしも叔父が私達のために貯めておいてくれなければ、私達兄弟がパソコンを始めるのはもっと遅かっただろう。そのことを考えると叔父に感謝しなければならない。それからというもの私は兄と中村氏と共に毎日のようにパソコンに取り組むことになった。
パソコンを始めると、初めは本に掲載されているプログラムの中で自分の機種に合ったものを毎日飽きもせず入力をしては、パソコンの力に驚き、感動に浸っていた。しかしあるところまで来ると、私は壁に直面した。それはどのような壁か。始めたばかりの頃は、やること全てが楽しく感動があった。しかし、あるところまで来ると突然、物事が難しくなり迷いが出てくるようになった。兄や中村氏が盛んに何やらプログラムを作っている楽しんでいるのに、私にはうまく作れないのである。とても悔しかった。そこにはやはり能力の差があり、私の中にコンプレックスのようなものが芽生え、遂にパソコンに取り組むことに挫折してしまった。それから暫くの間、パソコンに触れることから遠ざかっていた。しかし無類の機械好きで好奇心の強い私は、半年ほどの空白の後パソコンを忘れることができず、再び始めることになった。自分達の持っているものと違うメーカーから新製品が発売されたのを機会に、再出発のつもりで買い換えた。再び始めるに当り、私の中にあるパソコンに対する心構えが変わっていた。それは『能力のない私がいくら頑張ろうと無理なこと、それならばプログラムを作るのではなく、市販されているものを使い道具として使って見よう』と思うことにしたのである。そう思うようになり、それまで自分の中にあった意地といったものが消え、肩の荷が降りた気がして、楽な気持ちでパソコンに取り組めるようになった。
私がパソコンを続けるにあたり、多くの人の助言や手助けを受けてきた。そのなかでも忘れてはならない人が2人いる。その一人は安永知明氏である。この人のお陰でパソコンが良い環境でできたとも言える。氏はパソコン等の販売店に勤務する人である。必要なものや分からないことが起きると、電話で問い合わせたり、時には私のところに来てもらうことがある。氏の自宅が病院に近いこともあり、出勤する前に私のところへ来て様々な疑問や用件を処理してくれる。私は自分でパソコンの周辺機器の接続やコードの接続もできない。そのため氏には忙しいことは分かっていながら頼んでいた。氏は出勤の時間が過ぎても、いやな顔一つ見せず私の要求を満たしてくれる。
氏の存在がなくして今まで続けることはできなかっただろうし、これからも続けることはできない。もう一人は、内野政彦君である。彼は私より随分年下であるが、私の先生と言っても過言ではない。彼と知り合ったのは彼が養護学校に通っているときである。彼は病院内の小児病棟に入院していた。私が養護学校にいる頃から仲良くしている先生がおり、その先生がパソコンの詳しい生徒がいるということで私に会わせてくれた。彼はパソコンには滅法強く、私に多くのことを教えてくれた。ときには面白いゲームがあると私のところへ持ってきては見せてくれたり、新しいものが発売されるとか、このプログラムの命令はこんな風に使うとか、事細かに説明をしてくれた。この彼との出会いにより、初歩的なことも知らなかった私が、ある程度理解できるようになった。彼らとの出会いにより、パソコンの取り組みが変わり、現在の私を作ってくれた。表紙 前へ 次へ 最後 目次