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中川正法先生
私は病気を理解するにあたりさまざまな人より教えを受けた。なかでも私の主治医でもあった中川正法先生は病気に対する心構えを与えてくれた。ある時自分の病気について質問したことがある。その時一冊の本を貸して下さった。「難病」いうタイトルだったと思う。この本を読んだことでそれまで以上に理解を深めることになった。当時先生も若く希望に満ち溢れていたのかも知れない。
以前から先生方の研究室のある鹿児島大学第三内科に行きたいと願っていた。先生がアメリカ留学に行かれる前に、このことを叶えて下さった時のことである。
先生は、第三内科の医局で研究の成果などを、スライドなどを使い、こと細かく教えて下さった。この日まで、私はドクターから病気について詳しく教えを受けたことがなかった。このことで、病気に対する気持ちが楽になり、病気と共に生きる自信がついたように思う。
自分の病気を知る手段には、初期段階のものとしては国語辞典がある。しかし、簡単な言葉で書き記してあるばかりで、詳しいことはわからない。説明が簡単なだけに、一層の疑問を持つ原因にもなることもある。ともあれ病院や施設にいる者は自然と耳に入ってくる。まして自分の病気についてはとても知りたくなる。同じ病気の者同士、共に暮らしていれば自分達の病気についても話す機会は多い。中学生、高校生、ともなれば教えられなくてもわかるようになる。中途半端な知識が混乱を招くことは多いが、だからと言って無理に教え込む事でもないと思う。情報の氾濫した時代、至るところに知る手段はある。
筋ジスの場合、世を去るまでにはある程度考える時間があるということは幸いである。ガンのように急激に進行することが少ないからである。風邪やその他の病気を併発し急激に進行する場合は別である。
幸い、私は科学に興味を持つ者であったことと、楽天家であったことが良かった。そして何よりもいい先生に巡り会ったということだろう。中川先生との出会いが、私の病気に対する心がまえや考え方を変えるきっかけになった。生きて行く上で多くの人との出会いがあるが、生きる上での転機をむかえたり、新たな自分を見つける時がある。
中川先生は、好奇心の花をそれまで以上に大きく開くかせて下さった。
以前より科学には興味を持っていた。とりわけ宇宙には興味を持っていた。先生も以前より宇宙には興味をもっており、大学は理学部に進学したかったそうだ。ある時、先生は愛用の天体望遠鏡を病棟に持込み、惑星や恒星を見せて下さり、宇宙の神秘に触れる機会を与えてくれた。以前より新聞のスクラップや雑誌、書籍を通じ宇宙の素晴らしさは知っていた。そのため一度は天体望遠鏡を通し見てみたいと思っていた。天体望遠鏡を覗いた時の感激は、強烈だった。空には幼い時から憧れや恐ろしさもあった。特に夏の入道雲は色や大きさで今にも自分の居る場所に降りてきて、覆い尽くしてしまいそうな不安さえあった。
冬の青空は好きだ。どこまでも遠くどこまでも高く、それはもう言葉に表わせないほどだった。そして、その青空に自分の上げた凧を見るのはたまらなく好きだった。
先生と出会ったことは私にとって大きかった。
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