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アマチュア無線の魅力


 苦闘の日々が過ぎた頃、私は養護学校の中学部の課程を終え(当時、養護学校には高等部の課程はなかった)、鹿児島市内にある県立西高等学校の通信課程を受講することになった。通信課程のスクーリングは月一回ほどの割合で西高校の先生が病棟に出向いていた。養護学校で味わっていた授業を受けている気分に再び戻ることができた。やはり、言葉を交わし互いにコミュニケーションを取ることにより、信頼関係を築くことができる。通信高校のスクーリングは病棟関係の職員ではないこともあり、とても新鮮であった。もともと学校教育でのいわゆる勉強はあまり好きではない。むしろ嫌いな方である。学校に提出するレポートは提出日の期限すれすれで遅れることも多かった。何事もこの調子で人をやきもきさせることが多かった。
 ここら辺りで趣味と呼べるかどうかわからないが、これまで一所懸命に取り組んだものに触れてみたいと思う。私が趣味と呼べるものを始めたのは中学2年からである。当時病棟ではアマチュア無線のクラブ局が開設され、とても盛んであった。機械や目新しいものの好きなこともあり、アマチュア無線で交信をする光景を目にするうちに興味を持ち始めた。
 そんなある日、誰かが無線室でとても楽しそうに遠くの人と交信しているのを目撃した。自分も見知らぬ誰かと話をしてみたいと思った。それがきっかけとなり、中一の二学期に二度目のアマチュア無線の講習会に、私も待ってましたとばかり参加した。電気などには興味があったせいか、講習会はわりに楽しく受講することができ、ひとまず国家試験にも合格した。初めは、病棟のアマチュア無線クラブのコールサインを使い交信していたが、他のクラブ員が個人コールサインでしているのをみて自分も欲しくなった。個人のコールサインを取得したのは夏だった。初めて自分のコールサインで交信をしたのは、札幌の人だった。無線機を通し自分のコールサインと名前を呼ばれた時の感動と、マイクに向い初めて見知らぬ土地の人と話すことの極度の緊張は今でも忘れることはできない。HF帯で世界の人々と会話をしているところを見ながら、いつしか私もアマチュア無線の楽しさのルツボにはまってしまった。
 暇さえあればマイクを片手に(マイクといっても決してカラオケのマイクではない。)目で見ることの出来ない線を結び、見知らぬ人と見知らぬ土地の話を楽しんでいた。アマチュア無線のいいところは、何の身支度も要らず気の向くままに旅することができる。取り憑かれる人もいるほどだ。私達のように、外に出ることのない者にとって、唯一外部の人と交流の持てる格好の道具である。
 私が交信をして嬉しかったのは、初めてマイクを握り自分の力だけで交信を完了できた時だ。自分一人ですることは格別の感動であった。あれは個人のコールサインを取得してしばらくの事だったと思う。朝起き洗面を終えた後、無線室に向いスイッチを入れダイヤルを回していると、誰とはなく呼び出す声が聞こえるのである。その呼び出しに何とか答えたくてマイクをとった。その当時は、まだ超初心者であったために極度の緊張のあまり、心臓が今にもはちきれそうだった。
 そろそろベテランの域に達した頃、一度は交信してみたいと思っていた憧れの南極観測基地と交信できたときは、緊張というよりも極度に興奮した。南極大陸と言えば、地図を広げてみると一目瞭然、途方もなく遠い。昭和基地は日本から見て南極大陸の裏側にあり更に遠く感じる。その基地と交信できたのだからその喜びと言えば筆舌に尽しがたい。その昭和基地との交信が叶ったのは、二度目のトライによるものであった。交信を希望する人の数と言えばそれは想像もつかない数ではないかと思う。無線機に向い、いつものように何気なく無線機のダイヤルを回していると、それはもう賑やかなものであった。その騒ぎは何かとしばらく聞いてみると、以前からしてみたいと思っていた南極昭和基地からの電波であった。南極という言葉を聞いた途端に、私の胸が踊り始めた。そして私へ交信のチャンスが巡ってきた時、無線機のスピーカーから聞こえる声は、交信を終了するとの知らせの言葉だった。やっと自分に順番が来たと思った瞬間に終了が告げられ、とても悔しい思いだった。しかし再びその南極、昭和基地との交信ができるチャンスがおとずれた。南極からの声を聞いたとき、今度こそは交信を達成することを願いながらマイクに呼びかけた。一度や二度、相手のコールサイン(8J1RL)を呼んでも南極基地を呼び出す声は、十局、二十局という数ではなく、数えきれない程であった。その呼び出しの様子と言えば爆弾でも破裂させたような物凄い音なのである。その物凄い呼び出しをかいくぐり、交信を達成したのは挑戦を開始して二、三十分の後のことであった。長い時間をかけ挑戦した割には、それは随分とあっけないものであった。しかし交信を達成した気分と言えば爽快感そのものであった。
 アマチュア無線をすることで、世界は格段に近く感じられる。しかし電波とは不思議なもので、近いから必ずしも交信できるとはいえない。それとは逆に遠いから交信できないとも限らない。その日の地球の状態、宇宙の状態により状況が変わる。周波数、時間によっても電波の伝わり方、飛び方が違う。その特徴を知ることで更にアマチュア無線の魅力も増し、無線キチと呼ばれる人もいるほどだ。また、無線機も含む電子機器というのは進歩が著しいために、年に数回はモデルチェンジがおこなわれる。そのため機械を持つ者の心理として、新しいものが出るたびに欲しくなる。これはアマチュア無線に限ったことではなく、その他の電子機器を必要とする趣味でも言えることでもある。何はともあれ金食いの趣味である。しかし、一度取り憑かれればなかなかとまらない。この趣味は人間を相手にするため、同じ趣味を持つ者同士仲良くなれば更に楽しみは倍増する。そうなるとますますやめられなくなる。こうして私もしばらくの間アマチュア無線の魅力に引きつけられていた。

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