表紙 前へ 次へ 最後 目次 あんなに強かった父が 遊びにばかり興じていた中学二年の七月、丈夫だった父がこの世を去った。
その日の国語の時間、父方の亡くなった祖父の話を私がしている時、父の異変を聞かされた。迎えに来た親戚と、取るものも取りあえずわが家へ向かった。
家へ到着した時、家の前に大きなトラックが停車していた。すぐに家の中へ入ってみると、すでに仏間には祭壇が飾られ、布団には白い布を被った父の姿があった。早速、父の傍に連れて行かれ、白い布が取られた。変わり果てた父の顔が現れ、初めて父が亡くなったことを知った。初めからこんな事だろうとは思っていたが、まさかそれが現実であろうとは夢にも思わなかった。
変わり果てた父の顔を見た途端に兄の目からは、大粒の涙が流れ始めていた。しかし私の目から涙は溢れ出してはこなかった。決していま起きていることが、理解できなかったわけではなかった。その時私の心の中は、冷静だった。静かな気持ちで、父の死顔を眺めていた。父の死を知り集まって来ていた人々は、私たち兄弟に、不憫だなあという視線を注いでいた。
私にとって父は、強く頼りになり誇れる父であった。その父が祭壇の前に変わり果てた姿で横たわっている。とても穏やかな表情で、眠るかのように私たち兄弟の前にいた。父は辛い気持ちで、死を感じたことと思う。人は死ぬ前に、自分に死が近いことを察知するという。父もその一人だろう。人は必ず命の終焉を迎える。そして誰も避けて通れる道ではない。どんなに裕福な生活をしている人であろうと、どんなに貧しい人であろうと全ての人がこの時を迎える。
父の人生は、辛く苦しい道のりだっただろう。幸せであったか、不幸せであったか、私は知ることはできない。父は町の病院で、母に見守られこの世を去った。その事を考えれば、幸せな最期だったのではないかと思う。これがもし出稼ぎ先で一人寂しく亡くなったなら、父にとっても辛かっただろうし、私たち家族にとっても父に対して不憫な気持ちがおこるだろう。そうならなかったことは、まだ救えるのではないか。
変わり果てた父の前に佇む私達の姿を、母はどのように見ていたのだろう。これからの人生や生活について、考えなければならないことが山ほどあったに違いない。私の目から熱いものが流れ始めたのは、あくる日の葬式の当日であった。
祭壇の父の遺影を眺めていると、何故か涙が溢れてきた。白い布に包まれて帰ってきた父のお骨をみた時悲しかった。何よりも寂しく感じたのは、祭壇の取り払われた仏壇にある、遺骨の入った壷の浮かぶ情景であった。あんなに大きかった父が、両方の手に載るほどの姿に変わってしまったことがとても辛かった。
普段の生活に戻るには、それほど時間はかからなかった。病棟に戻れば、またいつもと何一つ変わらぬ毎日に戻った。これが現実であり、そういつまでも悲しみに浸っているわけには行かない。私にとって父を失したことはとても大きい。しかし、父の思い出や面影はなくなりはしない。いつまでもいつまでも私の中に、刻まれたままである。今でもそんな父の夢をみる。いつも夢の中で、私に微笑みかける。夢の中では、何故か無言である。やはりコミュニケーションはこの世に実体ない者とはできないのだろうか。
父がこの世を去って十五年が過ぎた。父の死によって私には、多少の影響があった。というのも父が亡くなったことで、一週間ほど帰省した。その間、ほとんど歩かなっかったことで、僅かではあるが歩きづらくなっていたのである。
父が亡くなる前より帰省することを控えていたのである。それは何故か、家に帰ることでどうしても甘えが出てしまう。そのために歩行できなくなるのではという不安があったからである。それが父の死によって病状が進むことの一因になったのである。なぜそんなに歩行することにこだわったのか。今思えば歩けなくなるということは、進行つまり病状の悪化を認めなければならないからであった。
父が亡くなってからはなおのこと、そしてえびの市は寒いということも、冬は帰らない理由でもあった。表紙 前へ 次へ 最後 目次