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思い出の中の故郷

 昭和四十四年四月、春まだ浅い日、宮崎県立西内竪小学校に入学した。早朝から入学を祝福するかのように、晴天であった。
 式が始まると、新入生が順番に名前を呼ばれ、教科書の入った桜の絵の袋を貰った。中に真新しい大きな教科書が入っていた。クラスは五、六人の最も少ない学級で、複式学級でなかったのが不思議である。
 式が終わると、校庭にある大きなモミの下で、母と記念写真を撮った。母は着物を着て、私は制服を着せられていた。
 当時、母は近くの土木工事に通い、毎日汗を流していた。日頃から気苦労の絶えない母が、私たちのことを忘れることができたのは、仕事をしている時だけだったに違いない。
 私は人一倍負けん気が強く何でもやった。私が二年生の頃まで学校では、冬はストーブの燃料に石炭を使っていた。石炭がなくなると交代で、雪の中をバケツを持って取りに行った。私は病気ということもあり、力がなく運べる量はわずかではあった。友達や先生は、「あなたは取りに行かなくても、他の人が行くから」と言ったくれた。でも私は「はい」とは言わず休み時間になると取りに行った。
 掃除も友達と一緒にした。雑巾を持って廊下や教室、床の拭き掃除をした。こうして地元の学校へは、四年生の二学期まで通った。普通の人達と学校に通うことは、私にとってとてもよい経験になった。
障害を持つ者にとって、自分が障害者であるということを認識させることはいくつもある。例えば遊び、体育の時間、運動会など。特に1年生の運動会の障害物競争は、私の記憶の中には断片的に焼き付いている。競技のスタートの合図のピストルがなると、一斉にスタートした。初めに待ち構えていたのは梯子くぐりだった。梯子が迫り、みんながしゃがんだのを見て私も急いでしゃがんだ。すると向かって右手の方から朝の光が目に飛び込んで来た。記憶はここまででとぎれている。この後よほどショックがあったのか。その後2年間は、走らずテントの中で、皆の走るのを見ていた。それ以外の競技には参加した。
 幼い頃は、自分が障害者であることはあまり、意識することはなかった。何事も他人と同じことをしなければ済まない性格であった私は、それが災いしたことも幸いしたこともある。
 学校は、部落で最も高い場所にあり、周囲には雑木林と竹がもうもうと繁っていた。放課後にその竹薮で遊ぶことがあった。竹薮には、竹ばかりでなく、大木もあった。
 授業が終わり帰りの支度をしていると、校庭では何やらいつになく賑やかなのである。良くみると竹薮の大木に一本の蔓が、下がっていた。それにぶら下がり、ターザンのまねをして、とても楽しそうに遊んでいた。それを見た私は、病気であることを忘れ、自分も参加させてもらうことにした。当然、自分も他の友達のようにできる思っていた。
 事は甘くなかった。蔓に手を掛け、思いきり足で土を蹴って飛び出した。体は宙に浮いた。私は喜んだ。それも束の間、捕まっていた筈の手が、木の感触を残し、手は枝から離れた。そのまま地上へと落下した。もう十センチ先に落ちていたなら、人生も終り、あえなく、天界の主となっていた。目の前に太い竹が立ちはだかっていたのだ。天は見捨てなかった。幸いそこは落葉の山、体は無傷ですんだ。落ちた所から校庭を見上げると高く、奈落の底に落ちたようだった。この時、ポケットには、鉛筆とノートを買うお金が入っていたのに、気がつくとなくなっていた。
 これまでも、自分には障害があるというのは、意識はしていた。しかし、こんなにもはっきり意識したことはなかった。
 私は、幼い頃から自然に囲まれた環境にあり、季節ごとの自然の味覚を楽しんでいた。今から考えれば、とても人間の食べる物ではないものも食べた。
 夏は、ウンベつまりアケビ、何かのツルの芽、木イチゴ。秋は、ヌカゴ、山ぶどう、椎の実など様々なものを口にした。時には苦いものなどを口にしたこともあった。おやつよりも自然の味覚の方が、美味しく感じられた。今では体験できない貴重な思い出である。それも田舎に育ったことと、普通の子供達と過ごすことができたからである。そのことにより様々なことを体験することもできた。
 もしも普通の子供と過ごすことができていなかったならば、小さな頃の素晴らしい思い出など作ることはできなかっただろう。確かに障害を持つということで、一時期いじめられることも、辛いことや苦しい思いもした。しかしいつか自分の病が最期に近づいた時、あの頃は良かったと思えるときが必ずくる。だから私は、あまり養護学校など存在して欲しくない。なぜなら、幼いときから障害を持った人を知ることができる。障害を持つ友達と接することで、この世にはこの様な人も居るんだと言うことを身を以て知ることができる。障害者は決して邪魔者ではなく、一人の人間、一人の心を持った人間であるということがわかる。そして皆が幸せに暮らせる世の中になるのではないだろうか。これは私の理想論に過ぎないのかも知れない。

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