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認知面への自立支援

 −スウェーデンで見たこと,感じたこと−

畠山 卓朗



 昨年(1996年)3月,スウェーデンの首都ストックホルムを訪れる機会を得た.この日は,屋外の気温は日中でも摂氏五度以下と低く,吐く息が真っ白であった.しかし,私はこの透明感のある空気のすがすがしさがとても好きだ.
 午前中の用を済ませ,スウェーデンに住む友人に連れられるまま,とあるレストランに入った.まず,食券を購入するためにレジに向かった.そこでは,レジ担当の女性がいすに座り,お客と何やらやりとりをしながら,パソコンらしきものを操作していた.私はスウェーデン語をまったく話すことができない.私の注文する番が近付いてきた.友人に助けをもとめようとすると,「大丈夫,心配しないで」と繰り返すだけである.いよいよ私の番である.机の上には,今日のメニューの絵が何枚か貼り付けたボードが立てられていた.なるほど.これなら私にも注文できそうである.私はポテト料理,そしてスープというようにボードのメニューを順番に指さした.するとレジの女性は,メニューボードと同じ内容の写真が表示されたパソコンの画面を直接指で触れながら,私の注文を入力した.(図1)そして最後に,レジスターの形をした絵に指を触れた.すると,代金の合計がパソコンの画面に表示され,さらにスピーカから合成音声が発せられた.私は財布から紙幣を取り出し,彼女の目の前の机の上へ差し出した.彼女は,パソコン画面に表示された数種類の紙幣の中から,該当する紙幣に指を触れた.そして再びレジの形をした絵に指を触れた.すると,おつりが自動的に計算され,パソコン画面には数枚の10クローナ・コインと1枚の5クローナ・コインの写真が表示された.彼女は画面の内容を何度も確かめながら,現金箱からコインを拾い集め,私に差し出したのである.

図1 パソコン利用のレジ操作風景

 実はこのレストラン,知的障害や重複障害を持つ人々が日中集まるデイ・センターに併設されたレストランであった.
 私は日本で,知的障害をもつ人々が働く喫茶店やレストランに,何度か入った経験がある.彼らの仕事は水の入ったコップを運んだり注文を取ることがおもな仕事であり,お金を扱う場面に遭遇するのはこれが初めてであった.あまりこれまでは意識することは無かったのであるが,知的障害をもつ人には「金銭管理は無理」と決めつけてしまっていたのではないかと思う.
 わが国ではこれまで,知的障害をもつ人々にたいする工学面からの技術支援はあまり例がない.その理由は様々あると思うが,私自身に関して言えば,工学技術を応用して障害を克服する困難さということ以前に,障害そのものを理解しようとする姿勢が無かったように思う.
 話の場を,再びレストランに戻す.実は彼らにとって,レジでの対応ができることだけが目標なのではなかった.例えば,時計の針やデジタル時計の数字を理解することが困難な人の場合,あとどれだけの時間,自分はレジの前に座って作業をしなければならないかがわからない.これにたいする解決策として,机の上には作業の残り時間を示す小型の装置が置かれていた.(図2)装置には色分けされたボタンが4個並んでおり,それぞれ15分,30分,45分,1時間を意味している.例えば,作業時間が45分の場合は,黄色ボタンを押す.すると,一列に並べられた光のランプが棒グラフのようにある一定数のびて点灯する.そして時間経過とともに,ランプが一個ずつ消えていき,設定した時間が経過しランプがすべて消灯すると,ピーピーという電子音によるアラームが数回鳴るという単純な仕組みである.
 知的障害をもつ人が時間の概念を把握するのに役立つ機器をタイムエイドと呼び,スウェーデンでは各種のタイムエイドが存在する.

図2 作業の残り時間を示すタイムエイド(Time Log)

 ここではもう一つ別のタイムエイドを紹介する.ここに一人の知的障害をもつ青年がいるとする.知的障害をもつ彼は毎朝八時にバスにのってデイセンターに出かける.しかし,彼は時計を理解することができないため,いつバス停に向かったらいいかがわからない.この「バスに乗る」という行動と「それを行うまでにどれだけの時間があるのか」という時間要素を結びつける装置がある.(図3)(図4)時間が来たら行う行動を絵カードで示し,それまでの残り時間を丸の数で示す.絵カードは取り外し式となっており,利用者自らがセットを行う.一枚一枚のカードの表面には,行動の内容を絵や写真で示したものを貼り付けて用いる.また裏面にはそれを行う時刻を設定する.ただし,この時刻設定は家族やトレーナーが行う.本体表面の左側には縦型の液晶表示があり,丸の数で行動までの残り時間を示すようになっている.一個の丸が15分を示し,丸は全部で八個あり,最大二時間までの時間を示すことができる.時間経過とともに,丸の数が減っていき,あらかじめ設定された時刻になると,ピッピッピッピッというアラームが鳴り始める.カードを取り外すとアラームは鳴り止む.そして次の行動予定(例えば,「仕事を始める」)のカードをセットする.もし,カードを取り外さずアラームが鳴ったままにしておくと,アラームは1分間鳴り続けた後,音が止み,液晶表示がフラッシュ(点滅)点灯となる.(すでに過ぎ去った時刻のカードをセットした時も,その間違いを表すためにフラッシュ点灯となる.)絵カードの数は利用する人により異なる.最初は,一枚のカードを確実にこなすことからはじめ,徐々にカードの数を増やしていく.この装置のほかに,今行っている作業を示す絵カードと,それをあとどれだけの時間するのかを示すための装置も市販されている.
 このようにして,利用者自らが時間の流れを理解し,生活におけるその時々の行動を他から決められるのではなく,自律的に組み立てていく習慣を自然に身につけることを目的にしている.六カ月間のトレーニングを受けたある少女は,普通の時計が理解することができるまでになったという報告もある.

図3 絵カードと液晶表示を組み合わせたタイムエイド(QHW)

図4 タイムエイド(机上)をセットして作業を行う


 私たちは,レストランの奥にある調理場に特別に入れていただいた.そこでは,スパゲッティをゆでる担当の人がいた.ここは自分が取り仕切っている場所だというように,彼の顔は自信に満ちた表情をしていた.しかし,彼は温度計の目盛りを理解して読み取ることができない.そこで,お湯の温度を3種類のマークで表示する小型の装置が用意されていた.温度が低ければ「寒そうな顔」,高過ぎれば「汗を流している顔」,適温であれば「にっこり顔」のランプが点灯するというわけである.(図5)

図5 レストランの調理場で見かけた絵で表示する温度計


 実は後でわかったことなのだが,ここで紹介したような知的障害を持つ人々を支援するための機器は,スウェーデンのハンディキャップ研究所と複数のメーカが中心となって進めたメンテック(Mentek)と呼ばれる3カ年プロジェクトの研究成果の一部であった.このプロジェクトを技術的に支えたのは近年の電子技術の進歩である.しかし,その底流には知的障害を持つ人々の自律的な生活を支援しようとする様々な人々の息の長い情熱があるのだということを肌で感じたような気がした.
 レストランのドアを開けてふたたびストックホルムの街へ飛び出した.まだ風が冷たかった.しかし,心の奥まで暖められた昼下がりであった.

■各種タイム・エイドは下記より入手可能です.また,キャッシュ・レジスター・プログラムの日本語版の開発も検討されています.
・五大エンボディ(株) 担当:佐藤氏
〒601 京都市南区吉祥院嶋樫山町22
電話 (075)672-8400 FAX (075)672-8401


(リハビリテーション・エンジニアリング Vol.12, No.1, pp.72-75,1997に掲載)