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聴覚障害者のための筆記通訳支援システムの開発

           畠山卓朗 横浜市総合リハビリテーションセンター
       古川鈴子 海老塚一浩 障害者スポーツ文化センター 横浜ラポール
中川芳子 筆記通訳研究会
  仙田聡明 (株)ワコム・研究所


(現在,図が含まれていません)

1.はじめに

 聴覚障害者の社会参加や生活の様々な場面におけるコミュニケーションを支援するためのサービスとして,手話や筆記通訳活動が実施されている.筆記通訳には,個人あるいは少人数を対象としたノートテイク(ノートなどにその場で字を書きながらコミュニケートする),講演会や映画会などでの多人数を対象としたOHP使用による筆記通訳(ここでは以下,OHP筆記通訳と呼ぶ)などがある.OHP筆記通訳サービスは,講演内容を聞き,必要に応じて要約しながらフェルトペンで透明シートに次々と書き込んでいきOHPで投影するものである.この筆記作業は,OHPの強烈な光の間近,すなわち「眩しい」,「あつい」,「無理な姿勢を強いられる」など劣悪な環境のもとで作業が行われるため,大きな問題を抱えている.
 今回,液晶ディスプレイ内蔵ペン・コンピュータと電子OHPシステムを応用した筆記通訳支援システムを開発し,筆記通訳者の作業環境を大幅に改善することができたので報告する.

2.開発の背景

2.1 OHP筆記通訳の現状

 近年,公共的な機関や障害者団体が主催する講演会や会合では,手話通訳と並んでOHP筆記通訳が行われることが多い.また,増加しつつある難聴者の中にも手話を理解できない人も多数おり1),ますます筆記通訳のニーズは高まっている.
 OHP筆記通訳サービスは,講演会,会議,打ち合せ,映画鑑賞会など,様々な場面で利用されている.
 筆記通訳の作業形態は,横浜の場合,OHPを取り囲み3〜4名の筆記通訳者により行われることが一般的である.講演内容を聴きながらロール式のOHPシートに書き込んでいく人が1名,その横で記入ミスや補足的な説明を書き込んでいく人が1名,OHPを挟んで向こう側でロール・シートを話のタイミングに合わせて引いていく人が1名,サイドからはあらかじめ用意しておいたあるいはその場で急きょ用意したカットシートをOHP上に載せる人が1名,概ね4名の人が作業を行う.(図1) それらの作業はOHPの発光部の間近で行われることから目に与える影響は大きく,サングラスをかけながら作業する人が多い.中には作業がし難いという理由から,裸眼のままで作業する人もおり,目に与える影響はさらに深刻である.また,OHPからの強烈な光による熱さ(これにたいしては手袋やアーム・カバーを使用),また1台のOHPに全員が集中しなければならないことから無理な姿勢を取らざるを得ないなど,大きな問題を抱えている.このため,長時間にわたる連続作業は困難であり,おおよそ10〜20分毎にOHPを中心にぐるっと回転しながら席を代わり,役割交代を行う.
 また,スクリーンには,一人あるいは二人の筆記通訳者の手の影も一緒に投影されるため,利用者にとってたいへん見難い状況がある.

2.2 これまでの取り組み

 手嶋等は,パソコンと速記入力装置およびビデオ投影装置を組み合わせたシステム「ステノプコン」2)3)を開発した.速記入力の習得には最低でも4ヶ月,本格的な養成には約2年の年月を要するため,視覚障害オペレータの養成実験にも取り組んでいる.このシステムが扱うことのできる情報はテキスト・データのみであり,従来から筆記通訳で行われてきたような文字に表情を与えたり(時にはやさしく,時には目を覚ますような刺激的な),絵などの文字以外の情報を扱うことはできない.

3.筆記通訳支援システムの開発

3.1 システム設計方針

 システムを設計するにあたり,以下のように設計方針を立てた.
・作業環境を改善し筆記通訳者の負担を軽減
・これまでの作業内容の流れを継承し,無理なく移行
・作業者の数を減少させ休息時間を確保
・あらかじめ用意したテキストと手書き文字やカットなどを混在表示
・情報の加工や保存を手軽に行う
などである.

3.2 システムの構成

3.2.1 ハードウェア

 システムの構成を図2に示す.電子ペン操作による液晶ディスプレイ内蔵タブレットを入力部に持つペン・コンピュータ(ワコム製,PenTop:IBM PC/AT互換機)を2台使用し,それぞれのコンピュータをシリアル・インタフェースで結合する.2台の液晶ディスプレイに表示される内容は,一部を除いて同一である.一方のコンピュータの画像出力端子を電子OHP(液晶パネル+高輝度OHPの組合せ)に接続し,液晶ディスプレイ表示と同じ画像がスクリーンに拡大投影される.電子ペンの重量は,鉛筆とほぼ同じである.
 筆記通訳者は,従来のようにOHPの回りに位置する必要はなく,接続ケーブルの長さが許す範囲内の任意の場所で無理な姿勢を取らずに作業を行うことができる.

3.2.2 筆記通訳者の役割

 同時に作業する筆記通訳者の人数は2名である.(1名による操作も可) それぞれが1台の液晶ディスプレイを担当し,どちらか一方を「正」,他方を「副」と呼ぶ.「正」は,画面の改行,文書の呼び出しなどの権限を有する.本システムを使用しての作業形態には2種類の方法が考えられる.第1番目の方法は,「正」は講演者の話を聞きながら液晶ディスプレイの任意の場所に電子ペンで手書き文字を書き込んでいく.「副」は,自分のディスプレイに表示された「正」の書いた内容に誤りを発見したりあるいは補足すべき内容があれば,自分の画面上で修正を加えたりあらたに書き込んでいく.
 第2番目の方法として,「正」が画面の左側を担当し,「副」が画面の右側を担当する方法がある.その際,「正」は「副」に声掛けを行い,「副」が書くべき内容の指示をすばやく行う.
 「正」と「副」は,任意の時点で,「正」および「副」側からソフト的に交替することができ,わざわざ席を交換することなく作業がスムーズに移行できる.

3.2.3 システム操作の概要

2台の液晶ディスプレイの表示内容は,「正」あるいは「副」表示を除いて,基本的には同一である.それぞれが書き込んだあるいは修正した内容は,双方の画面に即座に反映される.
 液晶ディスプレイの画面表示を図4に示す.画面は,用途に応じて,縦置き,横置きの2種類を用意した.画面の最上段には左からペンの太さ(3種類),消しゴム,クリア(画面の消去),罫線表示のON/OFF,文書やカットの保存,接続/切断,終了,「正」と「副」の切り換え,さらに2段目にはカット10種類,文書2種類の選択メニューなどが並んでいる.また,画面右端の縦1列は改行エリアであり,ここを電子ペンでクリックする毎に,上方に1行分スクロールする.
 それぞれのメニューは,現在選択されているものが二重線で囲まれ表示される.メニューの中には,クリックと同時に選択できるもの(ペンの太さ,消しゴム,保存,改行など),ダブルクリックで選択実行できるもの(クリア),ある一定時間選択し続けて実行するもの(罫線のON/OFF,接続/切断,終了,「正」「副」切り換えなど)があり,とくに操作ミスによるデータの消滅や不用意な選択ミスを防止する.
 上述の選択メニューの中からいくつかの機能を選んで説明する.
1) 文書の保存/呼出
 保存メニューを選択しさらに文書番号を選択すると,それ以後,電子ペンで液晶ディスプレイに手書きされた内容がすべてコンピュータ内蔵のハードディスクに記録保存される.(図5) また,あらかじめ講演原稿などが入手できる場合は,手書きのファイル(筆順データ・ファイル)あるいはパソコンのワープロ・ソフトなどによるファイル(MS−DOSテキスト・ファイル)を用意しておく.それを講演者の話のペースに合わせ改行エリアをクリックしながら呼び出して投影する.もちろん呼び出した文書に手書きで修正を加え,さらにそれを保存することもできる.(図6)
2) カットの保存/呼出
 講演の途中でよく使用される文字列やイラストはカットとして保存しておく.それぞれのコンピュータ毎に10種類ずつ保存することができ,必要な時に呼び出し,スクリーン上の任意の場所に表示する.また,カットはペン操作の過程をすべて記録することができるため(消しゴム,クリアなども),簡易アニメ的な表現が可能である.なお,保存されたカットは,選択メニューに図形として縮小表示されるため内容の確認を容易に行うことができる.
3) 接続/切断
 講演の途中で急きょ新しいカットが必要になる場合がある.そのような時は,「接続」メニューを選択し,副は一時的に「正」とのコミュニケーションを絶ち,スクリーンには作業工程を一切投影することなくカット作成・保存ができる.その間,「正」は通常通りの作業を続行することができる.
4) 罫線のON/OFF
 この機能をONにすると,液晶画面上に罫線が表示され,文字を横一列に並べて書くときのガイドの役割を果たす.イラストなどを描く場合はOFFにする.

3.3 システムの評価

 横浜市筆記通訳研究会の月例会合で試用評価を行った.評価の結果を利点・欠点という観点からまとめてみると,
 利点としては
・まぶしくない,手や腕が熱くならない,無理な姿勢を強いられない
・これまでの作業と大きくかけ離れることがないため習得し易い
・二人書きがし易い
・書き手が直接スクリーンを見ることができ確認がしやすい
 欠点としては,
・通常のフェルトペンと比較してグリップの太さ,書き味などが異なり,違和感がある
・電子ペンで書いた場合,若干ではあるが時間遅れを感じる
・通常の画面サイズと比べて小さく,行数,行間などに制限を受ける
・機材の設置や運用に技術的な知識が必要
などがあげられた.
 また,聴覚障害者からは,
・筆記通訳者の作業環境が改善されうれしい
・手の影が映ったりすることがなく,スクリーンがたいへん見易い
・投影された映像が通常のものと比較して暗いため見難い
などの意見があげられた.
 以上,いくつかの問題点は抱えながらも,本システムによる作業環境の改善にたいする評価は,筆記通訳者および聴覚障害者,双方において概ね良好な結果が得られた.

4.今後の課題

 今後の課題として,試用評価を重ねシステム操作性の向上を図りたい.また,新たな機能としては,ファイル操作メニュー,縮小印刷機能(講演記録,会合議事録などの作成)などの付加を予定している.
システム構成価格が百数十万円と高額になるが,本来この種の装置は自治体が購入し,筆記通訳者のグループに貸し出す形態をとるのが望ましい.今後,それを実現すべく働き掛けを行っていきたい.

5.おわりに

 これまで筆記通訳に携わる人々の献身的な取り組みによって行われてきた筆記通訳サービスに,液晶一体型ペン・コンピュータを利用することで,作業者の操作負担を大幅に軽減することができる支援システムを開発した.これまでつちかってきた作業の流れを大きく変えずに新システムへ移行することができることを確認した.
 今後とも,障害者およびそれを支える人々にたいする支援技術の開発に取り組んでいきたい.

謝辞:

 最後に,本システムの試用評価に際し,貴重なご意見をいただけた横浜市中途失聴・難聴者協会,筆記通訳研究会,障害者スポーツ文化センター横浜ラポール北村和武の諸氏に深く感謝の意を表します.

参考文献

1)高齢の難聴者「受難」,朝日新聞記事,1993年4月16日

2)手嶋教之・他:ステノプコンによる聴覚障害者への情報伝達実験と視覚障害オペレータの養成実験,第6回リハ工学カンファレンス講演論文集,385-388,1991

3)手嶋教之・他:聴覚障害者用情報伝達装置ステノプコン入力装置の改良,第7回リハ工学カンファレンス講演論文集,301-304,1992


(1994年 第10回ヒューマン・インタフェース・シンポジウムにおいて発表)