畠山卓朗 * 伊藤啓二 ** 白鳥哲夫 ** 城口光也 **
久良知國雄 ** 春日正男 ***
* 横浜市総合リハビリテーションセンター
*** 宇都宮大学工学部情報工学科
1.まえがき
バリアフリー環境という言葉が使われるようになってからすでに長い年月が経過している.しかし,障害者の社会参加を阻むバリアーは今なお日常的に多く存在している.
視覚障害者が道路や建物内等で移動する際,環境情報をいかに正確に入手し,頭の中の地図(メンタル・マップ)をたよりにしながら目的地へ安全に到達できるかが課題である.従来からこれを支援するための様々な装置が開発されてきたが,同時に未解決の課題を多く抱えている.
今回,視覚障害者の利便性を中心に追求していくことを通して,新たな音声歩行案内システムを提案する.本システムは障害者利用だけでなく高齢者等をも含めたユニバーサルなシステムを目指す.2.歩行案内システムの現状と課題
視覚障害者の歩行を補助する手段には大きく分けて2種類ある[1].その一つは,白杖や盲導犬さらに前方の障害物を超音波等で検知するシステム等であり,これは視覚障害者の知覚範囲を拡大し代替するためのものである.もう一つは,誘導ブロックや音響信号さらに音声で場所を知らせる位置表示装置であり,これは環境側から視覚障害者に指示を与えたり情報を伝えたりすることを目的としている.ここでは後者のシステムを歩行案内システムと呼ぶことにする.実際の視覚障害者の歩行においては,それらの中から適宜選択し,あるいは組み合わせ利用する.第二のグループのうち,誘導ブロックと音響信号はすでに実用に供している.しかし,誘導ブロックは道路工事等を伴うため費用もかかり,公共的な建物や交通機関の周辺に利用が限定されている.音響信号に関しては,信号機と連動して音楽が流れる仕組みになっているが,周辺住民にたいする騒音問題を引き起こしている.近年では,カード型の無線送信機のボタンを押すことで信号機が連動して青にかわり,さらに音楽が流れるという信号機がある.しかし,現存するすべての信号機が対応しているわけではないため,視覚障害者にとってはまだ十分活用できていない.位置表示装置としては,提供したい情報を微弱FM電波で常に流しておき,携帯型のFM受信機を持った視覚障害者があるエリアに入ると音声情報を入手できるシステム[2][3]がある.ただし,電波を使用しているため,視覚障害者が方向に関する情報を得ることは困難である.近年では,衛星からの電波を基に視覚障害者の地球上の位置を割り出し音声で伝えたり,目的地までの道順を指示する装置が開発されている[4].しかし,建物の中や地下街では電波が届かない,たとえ位置が分かったとしても,ほんとうに必要なまわりの詳細な情報までを伝えてくれるわけではない等,未解決な課題は多い[5].そこで筆者らは位置表示装置に着目し,以上で述べた問題点を踏まえながら,視覚障害者に必要な情報を簡易に提供できるシステムの開発を以下に提案する.
3.新しい音声案内システムの提案
3.1 システムの設計方針
次に述べる7点をシステム構築方針とする.
(1)白杖歩行に対する補助的手段である
(2)方向情報を提示可能とする
(3)視覚障害者へパーソナルな情報提示を行う
(4)提示情報の書き換えが容易である
(5)操作方法が容易である
(6)大規模な設置工事を必要としない
(7)高齢者等も含めたユニバーサルな利用が可能
3.2 システム構成
今回,小型化を追求した標準型と多用途を追求した多機能型の2種類を提案する.システム構成のブロック図をFig.1に示す.図中,二重線で囲んだ部分は多機能型のみが有する要素であり,その他は,標準型および多機能型とも共通である.システムは,電子ラベル部と携帯部から構成する.標準型の電子ラベル部は,音声記録部,音声圧縮/伸張部,音声信号変調器,赤外光線送信器,赤外光線受信器,さらに制御器から構成する.標準型の携帯部は,赤外光線受信器,音声信号復調器,情報取得スイッチ,スピーカ,制御器から構成する.多機能型の電子ラベル部は,標準型の電子ラベル部にスピーカ,ID記憶部,文字列記憶部を付加したものである.多機能型の携帯部は,標準型の携帯部に赤外光線発信器,ICカードによる音声記録部,音声合成器,文字表示装置を付加したものである.
電子ラベル部は,建物の出入り口や物の位置を示す,すなわち情報を提示しようとする場所に設置する.これにたいして,携帯部は視覚障害者が歩行に携帯する.電子ラベル部と携帯部は赤外光線による双方向データ通信で結合する.電子ラベル部と携帯部の距離は,電子ラベル部の赤外光線の出力調整に依存し,最小60cmから最大30m程度とする.電子ラベル部の電源は,当面はAC100V電源アダプタを使用するが,将来的には電池駆動も検討する.
(特許出願中)
Fig.1 Functional Diagram of System3.3 赤外光線を用いた情報伝達方向確認方式
3.3.1 機能
標準型および多機能型に共通の機能として以下のものがある.
a.電子ラベル部からは,照射角度180度で赤外光線を常時発光させる.
b.赤外光線には,音声情報をFM変調した信号を含ませる.
c.携帯部の情報取得スイッチが押されたとき,携帯部が受光した赤外光線を音声信号に復調し,携帯部に内蔵した小型のスピーカから再生する.
以上の他に,多機能型には以下の機能を付加させる.
d.電子ラベル部には,音声記録以外にID番号を選択設定することができ,赤外光線によりID番号を送信させることができる.
e.携帯部で受光したID番号は,ICカードに内蔵した複数の音声圧縮情報と照合され,合致した音声案内が音声合成器を介してスピーカから再生する.
f.電子ラベル部には,聴覚障害者や一般利用者向けに,オプションで文字列記憶部を有することができ,音声あるいはIDと同時に赤外光線で携帯部に送信し,オプション装備された液晶表示部で文字情報として確認することができる.
3.3.2 方向確認の原理
ここでは方向確認方式の原理について述べる.方向確認とは,視覚障害者が携帯部を用いて電子ラベル部が設置してある方向を見いだすことである.
ここでは2種類の方式を提案する.(1)標準型携帯部の場合
携帯部に内蔵した赤外光線受信器の受光角は40度である.電子ラベル部からの赤外光線と携帯部の受光素子の中心軸が一致したとき最も明瞭な音声を再生させる.これにたいして,中心軸の角度が外れるに従い,音声信号のノイズ成分が増すことになる.従って,視覚障害者が携帯部を左右または上下に振ることにより,水平方向または垂直方向に適宜中心軸を調整し,もっとも明瞭な音声が得られる方向が,電子ラベルのある方向として特定できる.
携帯部に内蔵した赤外光線受信器の受光角は2種類のモードを持たせる.その一つは,ブロード・モードであり,他方はファイン・モードである.ブロード・モードにおける赤外光線の受光角は60度である.これに対して,ファイン・モードにおける受光角は40度である.電子ラベル部からの赤外光線がブロード・モードの受光角内に入ると,携帯部のバイブレータが振動するか,あるいは携帯部のスピーカから電子音を発生させる.さらに,携帯部が指し示す方向がファイン・モードの受光角に入ると,音声が再生される.ただし,ファイン・モード内での音声とノイズの関係は,標準型と同じとする.Fig.2に多機能型の携帯部の受光角の模式図を示す.
Fig.2 Receivable angle of infrared light
of multifunctional portable receiver3.4 システム運用
システム操作の概念図をFig.3に示す.白杖歩行を行う視覚障害者は,エレベータの入り口や建物の出入り口等の方向を確認したい時,携帯部を手に保持し,情報取得スイッチを押しながら,ゆっくりと左右に旋回させる.電子ラベル部からの赤外光線が携帯部の受光角に入射した時,携帯部のスピーカから,ノイズが混じった音声が発せられる.視覚障害者は,その音声が最も明瞭に聞くことが出来るように方向合わせを行うよう努力する.視覚障害者は,目標物に向かって徐々に移動しながら,携帯部による方向合わせを繰り返す.
多機能型の場合は,携帯部をブロード・モードにセットしておけば,電子ラベル部と携帯部の方向が大幅に外れていても受光角の範囲内であれば,電子ラベル部の存在を振動あるいは電子音で報せてくれる.そこから先の操作方法は,上述の方法と同様である.
利用者と電子ラベル部との位置関係の確認のため,電子ラベル部を比較的高所(2m〜3m)に設置する.利用者が,電子ラベルに近付くに従い,明瞭な音声を聞くために,携帯部を徐々に上方に向け,最終的にラベル部の真下に到達した時は,手は完全に真上を指し示すこととなる.周囲が人で混み合う場所では,遮光を避けるため,より高所に電子ラベルを設置する場合も考えられるが,操作の標準的観念を利用者に持って貰うため,なるべく一律の高さに電子ラベル部を設置することが望ましい.Fig.4に開発中の音声歩行案内システムを示す.Fig.3 Schematic view of system operation
Fig.4 System in the development stage
(from left, multifunctional portable receiver, standard
functional portable receiver, transmitter)4.システムの有効性評価と考察
提案したシステムの基本となる機能が,いかに視覚障害者の白杖歩行に有効に働くかを検証するために,今回提案した標準型と同様の装置の開発を行っている米国トーキングサインズ社の協力を得て評価試験を実施した.この目的は,利用者の利便性を最優先に考え,通信方式に互換性を持たせること,さらに,より良いシステムを迅速に開発すること,等である.なお,評価試験には,トーキングサインズ社の試作装置(TS-403/TS701,今回提案するシステムの標準型に相当)を用いた.
4.1 評価条件
試験協力者は16名(全盲7名,弱視9名)である.試験場所は,横浜市障害者スポーツ文化センター「横浜ラポール」1階で,主要箇所(受付,エレベータ,トイレ等)に計21個の電子ラベル部を設置した.
本システムを運用した時の有効性(歩行効率性,安全性,心理的ストレス等)の定性分析評価を行う.試験路は,最初30m直線歩行を行い(最初の20mのみ誘導ブロック有り),次に左に90度曲がり10m直線歩行したところに目的となる電子ラベル部を設置した.経路中の主要箇所と目標地点には電子ラベル部が設置してある.試験に先立ち,被験者に実験者が同行して歩行を行い,メンタルマップの作成を行う.試験は,携帯部を用いた白杖歩行時と白杖のみ歩行時の違い等について被験者の感想を求める.また,試験実施後に直ちにTable.1に示す各項目について被験者に口頭で質問を行い,5段階評価を行う.また,被験者に自由な感想を述べてもらい記録する.
Table. 1 Evaluation items4.2 評価結果
アンケート調査による5段階評価の結果から,以下に述べるようなことが分かった.「役に立つ」が94%(15名),「案内の内容が分かった」が94%(15名),「安心して歩行できた」が88%(14名),「方向を見つけるのは簡単」が63%(10名)であった.(ここでは,評価段階5,4に属するものを統計対象とした)これらに対して,「到達したことが分かりにくい」が25%(4名),「持ちにくい」が69%(11名),「重い」が69%(11名),「大きい」が75%(12名)と答えている.(ここでは,評価段階3,2,1に属するものを統計対象とした)さらに試験データを多変量解析することで,以下に述べるような結果を得た.Fig.5の相関係数グラフより,「安心して歩行できる」「方向を見つけるのは簡単」が「役に立つ」に貢献していることが分かる.これに対して,「大きい」「持ちにくい」が「役に立つ」に貢献していないことが分かる.また,Fig.6のクラスター分析樹形図が示すように,調査項目の独立性を3分割すると,「役に立った」「安心して歩行できた」等が50%,「案内の内容は分かった」が13%,「重い」「持ちにくい」が38%となり,「保持性」が重要な評価基準の一つであることがわかった.
Fig.5 Correlation coefficient with "Useful"
Fig.6 Result of cluster analysisこの他,被験者からのおもな感想には以下に述べるものがあった.
(a) 良い点
3次元の世界が開かれる事を強く感じた,メンタルマップを作るのに役立った,手元で聞けることは回りの人に迷惑をかけず嬉しい(b) 特に設置して欲しい場所や情報
バスのりばやタクシー乗り場,地下鉄の入り口,バスの行き先表示,ショッピングセンター,信号機の状態(c) 不安な点や不満な点
両手が塞がるのが不安,従来からの装置との互換性がないこと(d) 付け加えて欲しい機能としては,
目標に到着したことがわかる機能,自分の歩いた経路をメモするための録音機能等があげられた.
5.考察
評価結果から,携帯部について「大きい」「持ちにくい」等の問題点が明らかになり,今回の評価に用いた装置の保持性にやや難点があることがわかった.この問題にたいしては,現在開発中の装置は小型・軽量化,さらに保持性を考慮した携帯部のデザインを進めており,改善が期待できる.さらに,被験者からは「目的地に到達したことが分かり難い」ことにたいする指摘があった.この問題にたいしては,携帯部にラベル音要求スイッチを設けることを検討している.すなわち,利用者が目的地の一定距離内に入った時,ラベル音要求スイッチを押すと,電子ラベル部に向けて赤外光線が発光する.すると電子ラベル部から電子音が鳴り,目的地の間近にいることが利用者自身で分かるようになると考えている.今回の評価試験では,標準型が有する基本的な機能のみに的を絞って評価を実施し,多機能型が持つ機能の有効性の評価にまでには至らなかった.評価試験から得た結果をシステム設計に反映させながら今後の開発を進める.
6.あとがき
本システムは,視覚障害者だけでなく高齢者や外国人等にたいする情報提供手段として,また一般の美術館や博物館等での情報提供手段として,ユニバーサルな活用ができると考えている.
なお,本システムは現在もなお開発段階にあり,今後,さらに実用性の高いシステムの実現を目指す.
本研究開発にたいしては,三菱プレシジョン株式会社が財団法人テクノエイド協会から福祉用具研究開発事業助成金の交付を受けていることをここに付記する.謝辞
本研究を進めるにあたり,以下に掲げる方々から貴重な助言や多大なご協力をいただいた.この場を借りて,深く感謝の意を表します.
元筑波大学付属盲学校 長谷川貞夫氏,東京電機大学 斉藤正男氏,東京都心身福祉センター 御旅屋肇氏,労働省 吉泉 豊晴氏,東京都八王子盲学校 三崎吉剛氏,横浜市総合リハビリテーションセンター大場純一氏,青野雅人氏,横浜市身体障害者団体連合会 三浦辰男氏,国際プロダクティブ・エージング研究所 白石正明氏,米国トーキングサインズ社 C.Ward Bond氏,評価試験にご協力いただいた視覚障害者の方々参考文献
[1]御旅屋肇:視覚障害者用歩行補助システムの検討,第11回リハ工学カンファレンス講演論文集,241-246,1996
[2]半田志郎,藤城孝夫,武井純一郎,大下眞二郎:視覚障害者用音声アシステトシステム,第10回リハ工学カンファレンス講演論文集,281-282,1995
[3]坊岡正之,相良二朗,赤澤康史:微弱電波を用いた音声案内システムの開発,第11回リハ工学カンファレンス講演論文集,237-238,1996
[4]判澤正人,篠田陽理子,曲谷一成,簗島謙次,増本優:DGPSを用いた視覚障害者用ナビゲーションシステムの開発,電子情報通信学会信学技報HCS96-18,71-78,1996
[5]青野雅人,畠山卓朗,田中理:視覚障害者用音声案内装置の調査,第13回リハ工学カンファレンス講演論文集(投稿中),1998