病院スタッフに感謝
ようやく家へ帰れるという気持ちの反面で,ここで育んだ人たちとの関係が終わるかと思うととても切ない思いを感じる.
患者(ここではあえて「さん」付けしない)が病と向き合う中で,医師はもちろんのことであるが,看護師さんの存在の大きさ,ありがたさを強く感じる.
ほんとうにこの病院の看護師さんはいい!と多くの人が口をそろえていう.(多分,この病院に限ったことではないとだろうが,私もそう感じている)
私自身も含めてわがままな患者の言葉にひとつひとつ耳を傾け,いやな顔を見せずきちっと向き合おうとしてくださる.明るくて,笑顔が絶えないのもこの病院の看護師さんたちである.そしてひとり一人個性があって,それもいい.「良かった探し」の心がここには根付いている.
夜勤の仕事はたいへんである.消灯時間が過ぎた後,深夜まであちこちで鳴るナースコールに,なるべく音を立てないように走り回る足音を幾度となく耳にした.
深夜に吐き気を催したときに駆けつけてくれた看護師さん,肩に吐き気止めの注射するときに見せてくれた笑顔が,目を閉じたあとまで安心感となって静かに眠らせてくれた.
冒険心からカラーをちょっと外そうとした仕草をたまたま見られてしまいこっぴどく叱られてしまった.昔,いたずらをして母親に怒られたことを思い出した.この年齢になって私より年齢が若い看護師さんから叱られたのはとてもばつが悪かったが,愛情を強く感じた.
工学研究者の中には,労働力不足を解消するために福祉の現場や医療現場にナース・ロボットの必要性を説く人もいるが,私は少なからず違和感を感じてしまう.
人手不足→機械化の考えはあまりにも短絡的思考である.
もちろん,看護師さんの負担を減らしたり労働環境を改善するための道具や機器の開発や導入をすべて否定するつもりはないが,一方で人と人との関係性がとても貴重で,それを忘れた研究はナンセンスだと,この入院期間をとおして強く感じた.
ロボットナースを研究しようとする人たちは,少なくとも1ヶ月間入院してみることをお薦めする.
(私の知り合いのシンクタンク研究者は福祉ロボットのコンセプトを立案するにあたって,私の薦めで福祉施設に1ヶ月間通いつめ,重度心身障がいのある子供たちに触れ,考えが大きく変わったという)
病気が治癒する課程では,医師と同等にいや時にはそれ以上に看護師さん達の果たしている見えない役割がある.
もっともっと看護師さんたちの労働環境や待遇が改善されることを願ってやまない.
最後に,九段坂病院の医師の方々,献身的に看護してくだった方々,病院生活をいつも快適に整えてくださった病院スタッフの方々に心から感謝の意を表します.
期せずして向かい合った病,でもこの病院に入院出来てほんとうに良かった.
ありがとうございました.
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